稲村岩洞窟探索

2004年11月28日(日)、晴れ。東京都西多摩郡奥多摩町日原にある稲村岩で洞穴探索を行う。
 4回目ともなるとバスの運行パターンが読めるようになってきた。土日の日原行きのバスは奥多摩発が8:30と9:30であるが、9:15頃臨時便を出すのが恒例のようだ。
 帰りは東日原発16:17の利用客が多いので2台出している。最初の車は東日原で満員にして、途中の倉沢・川乗橋は通過。そこで待っている人には「後ろから来るバスに乗ってください」と放送している。それにしても積み残しを出さないよう2台出すあたり良心的だ。
 今回の目的は下部洞窟のある大岩壁へのアプローチルートを探す事にあるので、真っ直ぐ東基部沢に向かう。
「下部洞窟があった壁はこの辺だろう」と適当な勘で右上に延びる45度の崩れやすい斜面を登る。意外と潅木がまばらなので、潅木から潅木への移動はかなり緊張する。とうとう壁下に到達。
 沢筋からは標高差50mぐらいあるので高度感がある。しかし下部洞窟のある白い岩壁ではない。白い岩壁へは壁の下を右に行くべきか左に行くかべきかハタと迷った。
 そこで739高地を下から見上げながら方位を測定した。N110Eだった。739高地から見た下部洞窟の方位はN60Wだったので、こちらから見ればN120Eに見えるはずだ。
 では、左方向に移動しなければならないと判断し、壁の下のトラバースを開始した。だんだんと斜面も急になり、細心の注意を払ってジリジリと進む。とうとう行く手がガクンと落ちこんだ壁になり進めなくなった。それでも白い壁は現れない。
 ということは「白い壁は頭上に見える岩壁の上にあるようだ。複雑な構造をしているな」と前進を諦め元の位置まで戻って斜面を下った。
 東基部沢を少し上流側に移動してから、沢筋沿いの岩壁の下をたどって行ったら、洞口らしきものが見えた。また新しい洞口が見つかったと喜び勇んでよじ登ったら、洞口の高さ4m、幅3m、奥行4mの岩屋程度のものだった。
 その先も忠実に岩壁の下をたどったが、じきに裏側沢に出てしまった。石灰岩の転石が詰まった谷というよりルンゼ状の溝を下ると、先回つけたテープのある立ち木のところに出た。
 これでは白い壁に下からアプローチするのは無理だなと判断し、東基部沢の右岸(739高地側)の穴を探しながら日原にもどった。
 でも、なんとか白い壁のある斜面を横から見たいものだと、ねねんぼうの奥に伸びる林道を登ったが、すぐに植林帯で稲村岩が見えなくなってしまった。
 一旦バス道路まで降りて日原鍾乳洞方向へ歩いたら、バス道路がカーブするあたりで下部洞窟のある白い壁が見えてきた。しかし、左端が739高地の尾根の影に隠れて裏側沢まで見えない。
 残念だ。もう時間も15:50になっていたので、写真を何枚か撮って帰途についた。
 この第4次の報告を書いているときに、壁の下のトラバースは左ではなく右方向に行くべきだったことに気が付いた。なぜなら、739高地をN110E方向に望む地点はN120E方向に望む地点より南に位置するからだ。どうりで裏側沢が近いと思った。しまった、もう一度出かけなければならないか。
 これまでの測量結果をまとめると以下の通りとなる。

(1)各ポイントの標高
 直上尾根の洞窟下降点 805m
 上部洞窟       778m
 下部洞窟       691m

(2)各部分の傾斜
 直上尾根(上から)       約50度
 直上尾根(下から)       約40度
 上部洞窟から下部洞窟への斜面  約45度
 上部洞窟のある壁        ほぼ垂直
 下部洞窟のある壁        ほぼ垂直

(3)上部洞窟へ稲村岩頂上からアプローチする場合
 直上尾根部分で50m4本、直上尾根から上部洞窟への下降で50m1本、必要。
 直上尾根から上部洞窟までの壁は枯れ木がかなり残っている。
 上部洞窟から下へのエスケープは無理。直上尾根まで登り返す必要あり。

(4)上部洞窟へ裏側沢からアプローチする場合
 直上尾根部分で50m2本(推定)、直上尾根から上部洞窟への下降で50m1本、必要。
 直上尾根に約30mの垂壁があるように見えるが、その裏側の潅木帯を迂回できるかもしれない。

(5)下部洞窟へ上からアプローチする場合
 上部洞窟から下部洞窟への斜面で50m3本、下部洞窟のある壁で50m1本、必要

(6)下部洞窟へ下からアプローチする場合
 下部洞窟のある白い壁の下にもう一段の壁があるので、下からのアプローチは無理と思われる東基部沢から斜面をフリーで行ける可能性が残っているかも知れないが未確認)。

(小堀 記)