ヒグマの出る野湯探訪記

旅と温泉をこよなく愛する小堀会員がピリカ鍾乳洞調査ケイビングの際に訪れた北海道の秘境にある野湯の探訪記です。「洞窟温泉紹介」の番外編です。(2004年4月15日)

はじめに

2003年9月5日~9日まで北海道南部にある野湯巡りに出かけた。今回の目的地は、幻の秘湯「金花湯(黄金の湯)」と日本で唯一の温泉の湧く鍾乳洞「ピリカ鍾乳洞」である。同行者はPCCの石母田さん、「日本秘湯に入る会」の佐藤さん。6月ごろからメールで連絡をとりながら計画を練り始めた。
温泉仲間のHP情報によると金花湯はゲートがほとんど閉まっている林道の奥で、ヒグマが出没するとのこと。ピリカ鍾乳洞は竪穴で危険なため入洞禁止とのこと。
金花湯は島牧村にあり、島牧YHのオーナーが詳しいとのことなので、島牧YHに泊ってアタックすることにした。
ピリカ鍾乳洞の入洞許可を取るために、カマネコ探険隊の浦田さんに頼んで「温泉水を採取して研究者に送るため」という学術的調査目的を立てた。それを趣旨として入洞許可願いを今金町教育委員会に送ったところ「許可する」との返事がきた。飛びあがるほど嬉しかった。
竪穴なのでSRT訓練から始めなければならない。60歳を過ぎてからSRTを始めるとは思わなかった。ODBOXの土屋さんに頼んでSRT装備一式を購入。7月末から8月末まで毎週のように、PCCのSRT訓練に参加した。星野さんには随分世話になった。
目標をピリカ鍾乳洞の斜洞にしぼり、それに近い条件の岩壁で練習を繰り返した。秘湯に入る会の佐藤さんも参加した。どうやら3人とも、傾斜45度、長さ20mの斜面を自力だけで上下できるようになった。これなら3人ともピリカに入って大丈夫だろう。

9月5日(金)晴れのち曇り

5:00自宅を出発。女房の運転する車で羽田空港へ。6:55発のJALで函館空港へ。切符は超割の1万円。超割便でも6:55発となると空いていた。下界は雲が多くほとんど見えなかった。蔵王のお釜、下北半島の仏が浦が見えた。8:10に函館空港着。バスで函館駅へ。9:30発の特急北斗で長万部へ。ここで佐藤さんの四駆(トヨタのプラド)に拾ってもらい、一路島牧へ。佐藤さんの奥さんも一緒。奥さんも秘湯に入る会の会員で温泉好きとのこと。
まず、一番気になる金花湯林道の入り口ゲートを見に行った。鍵がかかっていて開かない。秘湯に入る会の金子さんも8月にアタックしたが、ゲートが閉まっていて入れなかったという。金子さんが送ってくれた鍵の写真とは異なる鍵がついていた。
宮内温泉から林道入り口ゲートに向かう途中でキツネが飛び出し、自動車の前をしばらく走ってから藪に消えた。帰りもこのキツネが現れたので、ひょっとすると餌をねだりに出てきたのかもしれない。
仕方がないので河鹿の湯に向かうことにした。宮内温泉から泊川沿いの広い道を進むと「工事中」の看板が建ち、番人のいるゲートについた。入り口で入山簿に氏名・住所を書いて通してもらった。すぐ工事中のトンネルがあり、その右手に伸びる旧道を熊よけの鈴を鳴らしながら進む。水は清く、山も急だ。
旧道を30分ほど歩くと目指す河鹿の湯が対岸(左岸)に見えてきた。赤茶色い巨大な石灰華ドームだ。ちょうどトンネルの出口にあたる所で、工事現場を迂回するため、パイプで組んだ歩行者用の通路ができていた。
藪を掻き分けて河岸に下りる。そこは川幅は狭いが深そうなので少し上流に移動。川幅は広いが深さは膝ぐらいのところがあった。パンツとランニングシャツだけになって渡渉。水はさほど冷たくなかった。佐藤さん夫妻は沢登り用の靴に履き替えて荷物を背負って渡渉してきたのには驚いた。
河鹿の湯は直径15m、高さ3mぐらいの巨大な石灰華ドームで、かなり赤茶けている。この頂上から湯が噴き出し、川に注ぐところで湯に浸れるはずだったが、今は湯がかれていた。頂上にある湧出孔には生ぬるい湯が半分ぐらい溜まっていた。鉄棒でつついて掘り下げてみたが変化なし。奥尻沖地震で出が悪くなったと聞いていたが、そのとおり。写真だけ撮って帰ってきた。付近の川底からも気泡が出ているところが何箇所かあったが、暖かいというほどのものではなかった。
帰りは鼻歌混じりで旧道をブラブラ歩いて戻った。澄みきった淵の中に大きな岩魚が沢山いた。この川は魚釣りが禁止されているので、魚が豊富にいるらしい。対岸の見上げるほどの山の上に石灰岩が見られた。カムイ鍾乳洞があるのはあの山の向う側か。
30分ほどで車に戻り、今日の泊り場所である島牧YHに向かう。その車の中で眼鏡を紛失したことに気が付いた。多分、河鹿の湯で衣服を脱いだときだろう。宮内温泉の前を通り、海岸線をゆくとじきに島牧YHについた。近くにある町営の漁火温泉は廃止されていた。温泉が出なくなったらしい。
まだ時間が早いので千走川(ちはせ)温泉に寄ることにした。山側に4kmほど入ると小さな千走川温泉の建物があった。どこにでもある一軒宿で、取りたててお勧めというほどの湯ではない。湯は鉄分を含んだ適温のものだった。
海のすぐ近くにある島牧YHには18:00頃着いた。ペンションと言う感じの木造の建物で落ちついていた。18:30から夕食。食事は美味しかった。21:00からオーナーを囲んでミーティングがあった。他の客がいなくなった時を見計らって、金花湯にゆく林道の鍵対策についてアドバイスを求めた。
「元の鍵なら合鍵はあるのだが、鍵が新しくなっているのでは手が出ない。明日・明後日は営林署も休みなので頼むこともできない」とのこと。早い話、諦めるしかないと言っているのと同じ。

9月6日(土)曇りときどき晴れ

YHを9時頃出発。金花湯は絶望的なので、賀老の滝でも訪ねようと千走川温泉まで入った。賀老の滝への分岐点で、やはり気になるから金花湯林道のゲートをもう一度見ようということになり、ゲートに向かった。着いてみたらなんと、昨日は冷たく閉まっていた鉄製のゲートが開いているではないか。地元民が茸でも採りに入っているのか。小躍りせんばかりに喜び、早速林道に入った。
最初は道もそう悪くなかった。ジムニーというHPに出ていた地図を頼りに進む。各分岐点の写真を撮りながら地図の通りに進む。この地図にも出ていない脇道が結構あった。
地図上の各点の位置を定めるべく、GPS付きのドコモの携帯を持ってきたのだが、圏外となって使えない。どうやら基地局の電波が届く範囲でしかGPS機能が使えないらしい。これではお遊び道具でしかない。せっかく2万5千分の1の地図に30秒ごとの線を入れてきたのに。
林道はカムイ岳の東側を廻り、無名の沢を下っているようだ。道もだんだん悪くなってきた。ブルのキャタピラーの跡が出てきた。奥にだけブルの跡があるということは別の林道と繋がっているのではないか。
黄色い橋(ガードレールを黄色く塗ってある)でコイクチ沢を渡り、赤い橋で泊川本流を渡る。ここで林道はUターンして泊川沿いに上って行く。白い橋で小金井沢を渡り、大岩のある分岐についた。真っ直ぐ進む道のほうが広くて立派だが温泉には左に曲がることになっている。
左に曲がると相当な悪路になった。大石がゴロゴロした道で、中央が盛り上がっている。ランドクルーザクラスでなければ腹をするところだ。草が両側から生い茂り車の側面をこする。バイクでは身体をこすられるだろう。かなりの登りと屈曲を繰り返してゆくと道路が水に流されているところに出た。これ以上は進めない。HPの地図のM地点にはまだ1kmほどあるのだが。先月の台風10号で新たに道路が流されたらしい。
ここに車を置き、あとは歩いて行くしかない。周りは樹木がうっそうと生い茂り、いかにも熊が出そうな雰囲気だ。熊よけの鈴、携帯ラジオ、テレコなど音の出るものを総動員。熊よけスプレー、アブ払いスプレーと風呂に入る道具を持って出発。水で流された箇所を渡り、その先の林道を進むと100mほどでHPの地図の終点(M地点)と思われるところに着いた。ということはL~Mの間は3.1kmもないことになる。
10分ほど下って行くと小金井沢の渡渉地点に出た。この渡渉点は飛び石伝いでも渡れ、水深も浅い。その先は両側の草が生い茂り、ブッシュを掻き分けての細道となる。この道でいいのかと心配になったが、15分ほどで突然草が開け、目指す金花湯に着いた。ほんとうに突然、桃源郷が現れた感じだ。
深いブッシュの中、ここだけ石灰華の白いドームが広がり、その端にひょうたん型の湯船が白濁した湯をたたえている。まるで別天地のようだ。昔の写真では石灰華ドームの頂上一杯に大きな湯船が広がっていたのだが。石灰華の沈着速度はこんなんに速いのかと驚く。
ラジオとテレコのボリュームを一杯に上げ、早速湯に入る。心配したアブも少ない。おりから薄日もさしてきて湯の色が青く見える。美しい。ひょうたん型の湯船は両方に一人ずつ入れば定員一杯という大きさ。しばらく人が入っていないせいか、湯船の底には炭酸カルシウムの薄い膜が沈着していた。
ひょうたん湯船の下流にも一人用の四角い湯船が3つ掘ってあった。これはまだ、どのHPにも紹介されていない。その先は石灰華ドームが急な崖になって小金井沢に落ち込んでいた。小金井沢に降りれば大判の湯・小判の湯という野湯があるそうだが、そんなチンケな湯を探すより金花湯にゆっくり浸かることにした。3人で交互に各湯船を廻った。
金花湯の源泉は山すその叢にある湧出孔だ。源泉は47℃であるが、石灰華ドームの上を10mほど流れる間に温度が下がり、ひょうたん湯船では適温になっている。ひょうたん湯船の脇には誰が作ったか「黄金温泉」と書いた木製の看板が建っていた。石灰華ドームの上は白く磨かれ、きれいなので寝転ぶのに丁度よい。ただし熊が心配でなければ。
12:30頃、金花湯に別れを告げて帰路についた。また草を掻き分けて小金井沢の渡渉点に戻る。車に着いて、熊を気にしながら荷物を積みこみ、もと来た道を戻る。赤い橋の所で、昔あった泊川沿いのメインの林道を見ると、背の高い草が生い茂っていた。これではとても利用できないことが分かった。
落石の多そうな崖の下を走りぬけてカムイ岳に向け登って行く。カムイ岳の東斜面に出ると足元にカムイ沢が落ちこんでいる。この沢のどこかにカムイ鍾乳洞があるはずだが、今回はケイビング仲間ではないのでまたの機会に譲るとしよう。最初のゲートにたどり着いたら、幸いにもまだゲートが開いていた。誰にも見つからないうちに足早に林道を脱出。
まだ14:30頃なので、佐藤さん夫妻には申し訳ないが、昨日落とした眼鏡を探しにもう一度河鹿の湯に行くことにした。15:00頃トンネル工事のゲートに着いた。今日は入り口の番人がいなかった。また林道を歩いて河鹿の湯に行き、服を脱いだあたりの河原を探したが眼鏡は見つからなかった。ここしか考えられないのだが、どこで落としたのだろう。
宮内温泉で一風呂浴びてから島牧YHに向かった。夜のミーティングでマスターに「鍵が開いていた」と言ったら驚いていた。そんなことは滅多にないそうだ。ラッキーとしか言いようがない。
マスターがYH周辺の自然について話してくれた。モッタ岬の先に、豊浜トンネルと同じように岩盤が崩落しうち捨てられたトンネルがあるという。明日、早起きできたら見に行くことにした。
石母田さんが今晩長万部に来ているはずなので、石母田さんの携帯に何度も掛けたが、いつも「繋がりません」という応答。070では北海道では使えないのかもしれない。石母田さんからの連絡もない。長万部に着けなかったのかな。

9月7日(日)晴れ

朝5:30、まだ薄暗い中を佐藤さんと2人で、崩落したトンネルを見に出かけた。車で20分ほど西に走ると高い岩壁の下に通行止めとなった旧トンネルがあった。今は新トンネルが掘られているので取りつけ道路は資材置き場になっていた。
左手の高い岩壁からは滝が数条落ちていた。景色の良いところだ。佐藤さんは待っていると言うので1人でトンネルに入った。これが予想以上に長いトンネルで、向うに抜けるまで30分歩いた。真っ暗な中を懐中電灯なしで歩いたが、道路トンネルなので凹凸はなく歩きやすかった。中ほどはトンネルではなくシェルターになっていた。崩落地点は向う側の出口で、崩れた岩が小山のように積み重なっていた。
出口から道路に出るところに、これまた通行禁止の金網が張ってあった。上部にバラ線が張ってあるので、堤防から海の上にはみ出した部分を回りこまなければならない。結構緊張した。帰りは新トンネルを歩いて戻った。長さは1700m。トンネルの中で出合った車は2台のみ。自動車がトンネルに入ると、遥かに離れていても、直ぐ近くに車が来ているように大きな音が響いていた。
出発地点に戻ったら佐藤さんがいない。1時間もかかったので心配して佐藤さんも旧トンネルに入ったようだ。トンネルの入り口まで行き、「佐藤さーん」と大声で呼んだが応答はなかった。しばらくここで待つことにした。30分ほど待っていたら佐藤さんが戻ってきた。7:00に車でYHに引き返した。
朝食後、石母田さんからの連絡がないので西に向かう事にした。今朝の新トンネルに入る寸前に携帯が振動した。電話に出てみたがトンネル内なので繋がらない。トンネルを出たところで着信記録を元に電話しようとしたら圏外で掛けられない。もしかしたら石母田さんかもしれないので、またトンネルを戻って着信の電話番号を見たら「公衆電話」とのこと。
石母田さんの可能性もあるので長万部に戻ることにした。長万部近くなってから再度電話があった。石母田さんだった。「10:30頃長万部に着くので駅前で待っていてくれ」と伝えた。しかし、長万部駅前に着いても石母田さんはいない。待つこと20分で石母田さんが現れた。
その間、当方は眼鏡屋を探して歩いた。眼鏡屋はあったが日曜のため店は閉まっていた。近所の店の人が眼鏡屋の自宅に電話してくれたが、そこも留守。今日は町民運動会なのでそこに行っているのではないかとのこと。結局眼鏡を買えなかったので、文房具屋で虫眼鏡を買った。
これでメンバーが4人になった。まず、臼別の共同浴場に行くことにした。途中の蕎麦屋で昼食。蕎麦を売り物にしている割にはうまくなかった。おばちゃんが「前の土地を買ってくれる人はいないかね」と話しかけてきた。こんな人里はなれたボウボウの原野を買う人なんかいないよと思いながらも、「坪いくら」と聞いてみたが、はっきり言わなかった。
臼別共同浴場は平地から谷あいに入ったばかりのところにある。小さなゴルジュに面して木造の湯小屋が建ち、その奥が露天風呂となっている。風呂は男女別。対面の岩肌に石灰華が沈着しその上から湯が湧き出している。その湯が男湯のうたせになっていた。湯は結構熱い。
次に熊石町の熊の湯(平田内の滝の湯)に行った。日曜なので混んでいると思ったが空いていた。やはり9月だ。滝の脇にある大きな岩盤のへこみに湯がたまっているという豪快なものだが、湯は人工的に注いでいるものだった。ゆっくり入りたかったが、女性群が入るのを待っているので10分ほどで出た。熊の湯への降り口に高さ1mの噴泉搭らしきものがあったが、これも人工的に湯を吹き上げているものだった。
そこを15:00頃出発し、八雲を経由して奥ピリカ温泉に向かった。八雲で眼鏡を買った。ここも店が閉まっていたので、裏に回り住宅部分の玄関の呼び鈴を押して店を開けてもらった。それまでは地図を虫眼鏡で見ていたが、やはり眼鏡の方がずっと見やすい。奥ピリカ温泉には17:15頃着いた。途中「熊すべりの岩」という大きな岩壁があった。
駐車場の直ぐ脇にピリカ鍾乳洞の洞口があった。もっと斜面を登ったところにあるのかと思っていた。これなら入洞は楽だ。山の家にチェックインしてから露天風呂に出かけた。
風呂の直ぐ脇の岩盤に開いた穴から源泉が湧き出していた。風呂の底は一面小石が敷き詰められ気持ち良かった。湯はぬるいが長湯できるので身体が温まる。
山の家は山小屋並みの建物だが食事は結構良かった。古い畳敷きの部屋が食堂。チェックインのとき「明日は鍾乳洞に入る」と言ったので、宿の人が珍しがって、他の客にも「横浜から穴潜りに来た人がいる」と話したらしく、食事のとき他のグループから穴について聞かれた。食事の後は、ザイルの整備、測定道具の準備などで忙しかった。寝たのはもう23:30になっていた。
(小堀 記)

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