1985年9月1日、晴れ。東京都西多摩郡奥多摩町倉沢の倉沢の水穴で第3次探検及び、日原川の孫惣谷出合いの水穴で第1次探検ケイビングを行う。参加者は芦田、廣瀬、白幡、深田。
倉沢の水穴と倉沢鍾乳洞『第2下層部新洞』の『水晶池』がサイホン状でつながっていることは1984年12月にトレーサーを流し、判明していたが、人間が通り抜けることができるかどうかについては、まったく不明であった。そして、1985年の春ごろより、水中突破の試みが何回かなされたが、ほとんど成果があがらず、サイホン部分が予想に反して、相当長いのではないかという推測も出ていた。
ところが、1985年7月に入って、早稲田大学探検部の佐藤英一氏が友人と2人でアタックして、サイホン部分突破に成功したというニュースが伝えられた。水晶池に抜けただけではなく、そこからさらに水中洞を5mも奥に入ったとのことである。行き先はまだ続いていたが、素潜りだったため、それ以上は行くことができなかったそうである。そこでPCCでは潜水器材を使い、その奥の探検を試みてみることにした。
(芦田 記)
前回、頭だけ突っこんでみた水没部に今回、スキューバフルセットを身に着けて入ってみる。予想していたより狭く、あと一息というところで通らない。一度浮上して、タンクをはずしてから再度アタック! タンクをねじこみながら、直径0.5m程の狭洞を約1.5m進むと、小ホールに出る。長径7m、短径2.5m、高さ1.2m、水深は3m。右の方に支洞があるが、水晶池から流れ込んだ砂利によって入口付近が埋まっているため、入れない。この小ホールの先が水晶池である。
水晶池からは30度ぐらいで下に向かう直径1.2mの土管状の水中洞が5m程続き、さらに水平に3m程行ける。しかし、しだいに天井が下がってきて動きがとれなくなってくる。4.5m地点に右に行く支洞があるが、人が入れる大きさはないようである。一方、主洞の行き先はまだ続いているが、狭洞のため、スキューバの装備をつけて入っていくことは困難である。また、動くたびに水が白く濁るので視界が悪くなり、それ以上の探検をすることは不可能となった。
この次やる時は万全の準備を整えて、だれかとペアを組んでやりたい。
(白幡 記)