日原鍾乳洞調査ケイビング

 2004年7月11日(日)、東京都西多摩郡奥多摩町日原にある日原鍾乳洞で調査ケイビングを行った。参加者は芦田、小野、小堀、佐藤(光)、濱田、星野、村上の8名。今回の活動の主目的は観光洞最奥部より先に延びる未公開部分の調査である。
 当日は東日原にある奥多摩町森林館に9:00集合。今回は奥多摩町森林館の北山氏から未公開部分主洞の洞窟構造・危険性について調査して欲しいと芦田に依頼があったため実施したものである。
 奥多摩町森林館では自然体験のイベントとして未公開部分主洞に体験学習グループを入れても大丈夫かどうかを見てもらいたかったようである。
 まず8人を、調査班、探検班、初心者班に分けた。各班の役目は次の通り。「調査班」は迷い込みやすい支洞等の有無を調査、「探検班」は狭い支洞を突破してどこに通じているかを探る、「初心者班」はこの班が行けるところは体験学習グループ入れても大丈夫というインジケータ役。
 北山さんの案内で日原鍾乳洞へ移動。梵天岩先の駐車場に車を止め、そこで着替え。鍾乳洞の洞口まで下って、10:30頃入洞。洞内の観光客はそう多いほうではなかった。
 鍾乳洞の係員の方が十二薬師堂の脇にある金網を外してくれた。そこから狭い洞に一人ずつ入洞。入ってすぐ左へ曲がる。昔は水流が流れていたであろう岩ゴツの洞を進むと大きな空間が下へ下へと延びている所に出た。
 大きな空間は落盤ホールで床は大小の崩落岩で埋まっている。平均斜度30度ぐらいのホールを下り、そろそろホールも終わりかと思うと、また大きなホールが現れ下へ下へと続いている。1つのホールで20mずつ下ったとすると全体で4つのホールがあったのだから80mぐらいは下っているのかもしれない。ホールの天井は落盤したあとなので二次生成物は何もない。
 第1のホールの左側面に小さな穴があり、少量の水が流れていた。水流はホールとは別系統の穴に流れ込んでいたが、ひょっとすると、床の崩落岩の下を流れているのかもしれない。
 第2のホールには右側面に支洞があり、その中を静水面をもつ小川がゆったりと流れていた。ここは二次性生物というより溶食残りと思われる小さな石柱が林立していた。
 第3のホール終端の右側の壁にはかなり大きな鍾乳石群が発達していたが、その先端はみな折られていた。どうやら盗掘にあったようだ。石門状のオブジェを左側から巻いてなおも下ると第4のホールに到着。ここで大きなホールは終わり。
 第4のホールの最下部には深さ5mほどの落ちこみ(ポット)があり、つるつるの岩盤と崩落した一枚岩との隙間を降りなければならない。登りが心配だったが、「これだけ仲間がいれば誰かが押し上げてくれるだろう」と、あまり心配もせず半ば滑り落ちて降りた。
 ポットの底には、内間木の『神仙の門』程度の狭洞が開いていた。探検班が突っ込む。しばらくしたら上の方から「小堀さんどいてください。降りますので」と声が聞こえた。ビックリして見上げると、高さ3mぐらいのところに小さな窓が開いていて、そこから首を突き出していた。ここから入って、あの位置に出てくるとは、相当屈曲した狭洞に違いない。
 ポットから這い上がる時、案の定、いくらもがいても滑って登れなかった。手がかりのあるところまで下から押し上げてもらった。そのポットから這い出ると、探検班から「壁の上の方に古銭がいっぱい刺さっている」という報告が入った。
 当方も壁を少し登ってライトを当ててみると、確かに壁に付着した泥に天保通宝ぐらいの大きさのものがいっぱい刺さっていた。一つ抜いてみたが、表面が腐食して文字らしきものは見えなかった。誰が何のためにこんなことをしたのだろうか。
 第4ホールを登り返し、第3ホールの左側面にある支洞を下るとまたいくつかの支洞に分かれている。探検班が確認のため散らばる。初心者班はここは適当に引き上げて、第一ホールの上部で昼食。時刻も13:00頃だったのでそのまま引き上げて出洞。
 外に出たら土砂降りの雨。日原川も濁流になっていた。これだけの雨なら洞内にもう少し影響が現れると思うのだが。ということは、現在溶食が進んでいる別の新洞があるのかもしれない。
 駐車場の脇にある、キャンプ客用の炊事場の屋根の下で着替え。土砂降りの雨なので地面で跳ねかえった水で結構濡れてしまった。梵天岩が低い雨雲に見え隠れする。雷も凄い音をたてている。
 残りの班がまだ出てこないので、雨具を着けて駐車場の脇に聳える大岩壁の基部を歩いてみた。道路脇にいくつかの小穴が開いていた。昔は少し登ったところに祠があったのだが今は取り壊されていた。
 14:30頃、残りの班が出洞してきた。着替えが終わってから奥多摩町森林館に移動して北山さんに概況報告後、16:00に現地解散。
(小堀 記)