伊勢志摩地域第2次洞窟探索

 1996年5月3日(金)~7日(火)、三重県伊勢市矢持町及び三重県志摩郡磯部町にあると思われる未探検の石灰洞2本の探検及び、その付近で洞窟探索を行う。参加者は芦田、山西の2名。
 GWに行った伊勢志摩洞窟探しは当初の予想と異なり、画期的な成果は得られなかった。今回、伊勢志摩で洞窟探索を行うことにした理由は『関西自然科学』(15号~17号)という資料にケイバーが未探検の洞窟が2本記載されていたからである。記載によれば、そのうち1本は観光化してもよいほどの洞窟で、奥行きは続いているが、未確認となっている。もし、本当にこのような洞窟があれば、すごいことである。そして、このような洞窟が一般に知られずに存在しているということは、さらに人に知られていない洞窟もけっこうあるのではないかという結論に達したのである。
 しかし、実際に現地に赴いたところ、ふだん洞窟探しをしている奥秩父の峻険な山岳地帯と違って、伊勢志摩は山が低く、谷が浅いため、地元の人たちが山の中のことを非常によく知っていて、ポッカリ開いている新洞を新たに発見するのは困難な感じであった。また、われわれケイバーが知らず、地元だけで知られている洞窟をヒヤリングで探りだしても、実際に出かけてみると、聞いたほどの洞窟ではないという『百聞は一見にしかず』という典型的なパターンが多々あった。
 合宿初日。中央高速道路が深夜2時から大渋滞で、朝に伊勢に着く予定が午後になってしまい、この日はほとんど活動できなかった。食料の買い出しと平家の里キャンプ場でのテント設営と沢1本の洞窟探索で終わる。その探索でもタヌキの親子と小規模の石灰岩露岩を見つけた程度で、特に成果なかった。資料に載っている地図では、その沢に洞窟がプロットされていたのだが……。また、キャンプ場入口付近に『嫁穴』の看板があり、その沢が非常に怪しそうだったのだが……。ともかく、翌日以降に期待をかけ、その日の活動を終了した。夜の食事は本場松坂牛の焼き肉であった!
 2日目の午前中、昨日探索した沢の下流にある沢を探索する。資料の地図にプロットされている覆盆子洞が実際の沢よりも1本上流の沢にプロットされていたため、もしかしたら未確認の洞窟も1本上流にプロットされたのではないかと疑ったために下流の沢を探索したわけだが、やはり発見できない。
 昼前、キャンプ場の管理人に嫁穴のことをヒヤリングしようと集落に向かう。しかし、管理人は留守とのこと。隣人に他の洞窟に詳しい人を教えてもらい、その人を訪ねる。すると嫁穴は資料にあるような水穴ではなく、山腹にある縦穴とのこと。露岩の下に洞口が開口していて、風が吹き出ている。ちょうど鷲嶺の水穴の裏側にあり、たぶん、つながっているとのこと。石を落とすと、どこまでも落ちていくほど深く、昔、嫁さんが落ちて、上がれなかったことから、嫁穴という名前がついたそうである。これはすごい穴かもしれないと、芦田、山西二人そろって大喜びする!
 さらに資料の水穴は山一つ越えた覆盆子洞の裏側にあるとのこと。そこも覆盆子洞とつながっているかも(両方とも吐き出しの水穴なので、さすがに、それはないと思ったが)しれないという。しかし、資料の地図のプロットの位置とはぜんぜん違う。資料を作った先生は方向音痴だったのか、あるいはまったく地図を読むことができなかったのか! 情報提供者は30年前、その先生を案内して、その水穴に入ったとのこと。全長は覆盆子洞と同じくらい(300m以上)あり、鍾乳石もきれいたったとのこと。これも期待できる!!
 また、その先生には教えなかった水穴がもう1本あり、その穴に詳しい人(山の持ち主だから当然)を教えてもらう。丸い山の麓から水が湧いているので、丸山の水穴というらしい。安直な命名だが、実にわかりやすい。
 その日の午後、どの穴にアタックするか検討する。嫁穴が鷲嶺の水穴とつながっているのなら、高低差は100m以上もあることになる。とても半日ではできない。覆盆子洞の裏の水穴も車で移動するには大きく迂回しなければならず、やはり無理。ということで、すぐ近くの丸山の水穴を探検することに決定した。
 さっそく山の持ち主のもとを訪問する。紹介されたのはおじいさんだったが、腰を痛めて、寝ていて、おばあさんが応対してくれた。3年前にも東京の山岳会の3人組が入洞したとのこと。その時の話では広いホールがあり、滝があって、その先は寒くて行くことを断念したそうだ。ちょっと期待できそうな感じがした。
 さっそく場所を聞き、向かおうとにしたが、なんと、洞口までおばあさんが案内してくれるとのこと。伊勢の人は、みんな親切である。しかし、案内された洞口を見て、唖然とする。水穴で濡れながら入洞すると聞いていたが、濡れるどころか完全な水没状態なのである。それもけっこう深い! 思わず「ここ、本当に人が入ったんですか?」と聞き返してしまった。いろいろ話を聞き、周囲を調査した結果、どうやら洞口横の斜面が土砂崩れを起こしたらしいことが判明した。大量の土砂が洞口前を埋めて、ダムのよう水流をせき止めた結果、洞口が完全水没してしまったようである。
 このまでは、とても入洞できない! そこで、2人して2時間ほど土木作業を行い、その土砂の一部を排除することにした。その作業の甲斐あって、水位が下がり、洞口が少しだけ開口した。水流の中に仰向けに寝転がって、水面に口と鼻だけ出した状態になれば、入洞することが可能になった。まず、山西が先にアタック。続いて、芦田も入洞するが、その3mほどを抜ける途中で顔に水がかぶり、鼻から水が入る。思わず、パニック! 狭洞を抜けた後、漫画のように口からプーッと水を吐き出す。
 水没していた部分を抜けると、水流の中の匍匐前進となる。そう、その水没すれすれのルートを抜けても、天井はぜんぜん高くならず、水流部を葡匐前進せざる得ないのである。そして、洞口から18mほどで深いサイフォンになっている。いくら渇水しても、そのサイフォンを人が通過できるようになるとは思えない! 滝は? 広いホールは? いったい、どこ? という感じで、他にルートがないか探し回るが、まったくなし。3年前入ったという山岳会の報告はいったい……? ともかく入洞するのに2時間もかけたのに、洞内にいたのは20分ほどだった。くたびれ儲けの骨折り損とは、まさにこのことであった。
 その後、床木(くすのき)にあるという水穴を見に行くことにした。ここは人が入れるほどの大きさではないが、多量の水が出ているとのことで、もしかしたら、新洞発見のきっかけになるかもしれないと思っていたのであるが、地元で場所をヒヤリングすると、採石業者が壊してしまい、今はないとのこと。非常に残念である。ともかく、この日も大した成果をあげられず、明日こそはと期待しつつ、活動を終える。この夜の夕食で大アサリを山西のストーブで焼いたため、ストーブが大アサリの汁でサビザビになってしまい、あとで山西が泣くことになった……。
 3日目。いよいよ期待の嫁穴探検である。場所は詳しく聞いたので、そのとおり行けば、簡単に見つかるはずであった。ところが、ヒヤリングで聞いたような露岩がまったくない。当然洞口も見つからない。話ではあまり山の上の方ではとのことだったが、露岩が見つからないのでは仕方がない。少しずつ上に上がり、斜面を行ったり来たり……。昼前にやっと尾根直下で小さい洞口を山西が発見する。しかし、どう見ても話に聞いた嫁穴には見えない。露岩の下でもないし、風も出ていない。別の穴かもと疑いつつ、入洞準備をする。縦穴というよりもクラック状の穴で、楽勝でフリーで入洞できる。
 今回も、山西が先にアタック。続いて、芦田が入洞。しかし、奥行きは15mほどで行き止まりで、高低差も5mほどしかない。やっぱり嫁穴じゃないということになり、再び、探索を再開するが、まったく見つけられない。くたびれ果てて、山を下りると、キャンプ場に管理人が来ていた。さっそく、ヒヤリングをすると、嫁穴に関して、2日前に聞いた人よりも詳しく知っていた。そして、あの小さい小穴が嫁穴であることが判明した。2人そろって大ショックである。
 管理人からは覆盆子洞の近くにあった縦穴の話も聞けた。昔は穴が開いていたが、危ないので石などを放りこんで、埋めてしまい(こういう話はどこに行っても聞く。埋める前に調査したいものである)、今は3mほどしか降りれないが、掘れば、また開口するかもという話だが、これまでの経験から考えると、どこまで期待することができるか疑問もある。ともかく課題の1つではあるけれど、今回の合宿では、とてもやる気にはなれなかった。
 この後、覆盆子洞に入洞して、うさ晴らしをした。2日間続けて、ヒヤリング結果からは大いに期待できる穴2本に入っておきながら、トータルで40mも入っていなかったため、二人ともすっかり意気消沈しいたのである。この覆盆子洞は看板によると300mとのことだったが、支洞をすべて測量すれば、400~500mにはなるかもしれない穴だった。最奥部は水没して終わっている。
 この日の夕食は昨日や一昨日からは若干グレードが下がって、キノコ&野菜スープだった。しかし、デザートにはイチゴがあった。洞窟に関しては貧相な状態が続いている合宿であったが、食事に関しては贅沢な合宿である。
 いよいよ最終日。今日こそはと期待しつつ、テントを撤収し、車で山向こうの田代谷に向かう。目的地は資料に載っていた水穴──田代谷の水穴である。覆盆子洞と同じ規模なら300mはあるはずである。高麗広の集落でヒヤリングし、具体的な場所を確認し、山に入った。車から20分ほどで洞口に到着。洞口はあまり大きくないが、水潜りするほどでもない。ただし、水量はけっこうある。「瀧谷洞よりも水量が多いかも」と山西が言う。
 ともかく今回の合宿最後の穴である。思う存分探検するつもりで、意気ごんで入洞する二人。しかし、なんと入口から20mほどで、やはりサイフォンで終わっている! そのうえ、支洞も土砂で埋没気味で狭く汚い! きれいな鍾乳石はいったいどこにあるのか? 二人して必死に探し回るが、どこがきれいな鍾乳石なのかよくわからない。もしかすると、ほんの少しフローストーン気味の天井がそうなのだろうか? たしかに、この辺の他の知られている穴にはぜんぜん鍾乳石がないから、相対的にきれいと言われれば、きれいじゃないとは言えないが、これはそう言いきるには少々つらい。覆盆子洞より価値がある二次生成物があると報告書に書くのはちょっと勇気がいる行為だと思う。そして、この水穴も20分ほどで出洞してしまった。
 結局、今回の洞窟探索は、行うきっかけになった調査資料自体が最大の敗因であった。あの調査報告書はヒヤリングによると、30年前に近鉄の大株主が伊勢志摩で観光化できる鍾乳洞がないかどうかを資金を出して、調査させたものとのこと。おそらく調査した先生は洞窟の現実を把握しつつも、あまり悲惨なことも書けず、けっこう玉虫色の記述をしてしまったのではないだろうか。さらにもしかすると洞窟の位置をわざと間違ってプロットし、その後の追加調査を困難にしたのではないだろうか。
 この後、磯部町の天の岩戸洞に向かう。ケイビングをする時間はなかったが、芦田が山西に天の岩戸新洞の場所を教えることができた。また、その向かう途中で神宮司庁の人と出会い、いろいろと話を聞いた結果、伊勢神宮林内の洞窟も調査としての大義名分があれば、入洞許可を出してくれるということが判明した。伊勢神宮林内には未探検の縦穴(推定40m以上)など多数の洞窟があるので、これらの穴に入れる可能性が出てきたわけである。これが今回の合宿最大の成果だったかもしれない。
 帰路は鳥羽からフェリーで伊良湖岬に渡り、渥美半島、東名高速道路経由だったが、行きしなと違って、渋滞がまったくなく、日付が変わらないうちに自宅に帰り着けた。
(芦田 記)