河内風穴調査ケイビング

 1997年6月20日(土)~21日(日)。雨のち曇り。滋賀県犬上郡多賀町の河内風穴で、ひみず会の調査ケイビングに参加する。PCCからの参加者は芦田、白幡の2名。
 初日は江戸川ケイビングクラブの石川典彦氏の案内で洞内探勝となった。第1洞口から入洞して、観光洞部分の最奥部のループ状の支洞に向かう。ここに新洞への連絡ルートである『D支洞』がある。相当な狭洞という話だったが、今までに多くのケイバーが通ったおかげで、すでに問題になるほどの狭洞でなくなっていた。『D支洞』を抜けると、立って歩ける通路になっており、右が第2洞口に通じ、左が奥に通じている。
 奥に向かって少しいき、崩落した隙間を抜けると『シアターホール』と呼ばれる大きなホールに出る。さらに奥に進むと『ドリームホール』と名づけられた長さ100m、幅20~30mぐらいの巨大な空間になる。
 このホールの反対側から奥に続くルートが延びている。この付近から二次生成物が壁や天井を被いだし、フローストーンの間を下るようにして奥に進んでいく。谷のような所を曲がり、しばらくいくと高さ2~5m、幅2~3m程の通路が続くようになる。所々の洞床に美しいリムストーンがつらなり、つらら石や石筍、石柱など二次生成物が密集している。河内風穴は近畿地方で最大の洞窟となったばかりか、最も美しい鍾乳洞にもなったのである。
 小さなプールがある小ホールで昼食をとる。この付近は壁一面がフローストーンで被われ、多数のつらら石や石筍が見られる。もちろん、リムストーンプールもあり、その中に石柱、石筍が林立している。まさに地底の神殿である。上層部と下層部に分かれて、しばらくは、そういう状態が続き、突然、最奥部となる。
 最奥部は二次生成物がなくなり、崩落した岩塊で埋まっている。それ以上は入洞不能である。ディギングで延びる可能性については下層部の方は、徹底的に調査した結果、まずほとんどありえないと思われる。一方、上層部の方に関しては、時間切れで今回は未確認である。
 洞口へ戻る途中、泥でツルツルの超狭洞を下って『第2水系』といわれる所をのぞいてみたが、その地下川の規模の大きさは尋常ではなかった。上流は、すぐに水没しているが、白幡がウェットスーツを着て、調査したところ、10m以上の水深があることが判明した。水中洞は何人もの人間が一度に潜れるぐらいの規模で深く続いているとのことであった。
 一方、下流側は幅3m程、水深は2m以上の地底川なって、ずっと続いていることを確認した。ゴムボートか、ウェットスーツの準備がないと入洞できないので、白幡が1人で川を下っていったが、時間切れで行き先の最後を確認できずに戻ってしまった。この先は、まだ誰も入っていっていないが、『第1水系』に通じているらしいとのことである。
 出洞は第2洞口からだった。『D支洞』を下りずに真っすぐ進み、ちょっとしたホールの所を上に登る。さらにクラックを越えていくと、だんだん洞穴が狭くなってくる。その『D支洞』と五十歩百歩の超狭洞を抜けると第2洞口に出るが、そこは断崖のテラスで、隣にある小さい穴に再び入り、それを下っていくと、やっと本当の洞口である。
 翌日は、明治大学地底研究部の丹下義則氏らと洞内記載の作業を行った。割り当て範囲の記載が終了した後、支洞を2本ほど探検した。しかし、新たな新支洞は発見できなかった。
(芦田 記)