1984年8月17日(金)。私(深田)は埼玉県入間郡毛呂山町鎌北湖近辺の洞窟予備調査を行った。
今回の目的は、通称、『阿座穴(あざあな)』または『字穴』と呼ばれる全長約46Mの横穴型鍾乳洞。洞口は斜面の露岩地帯中央付近に開口するが、見通しが悪く非常に見つけにくい(ただし洞口にはペンキで『大洞』と書かれている)。洞口の大きさは高さ1m、幅1m。5mほど入ると、左へ大きく曲がり、さらに5mほど行くと高さ7~8mの小ホールに至る。このへんは落石などによって、2段構造になっており、下層を行くと、やがて幅が狭い隙間状の通路になる。その先を右へ直角状に曲がると、再び小ホールに出る。
そして、突き当たりの岩塊を乗り越えたところが、横穴の主洞最終地点。その先は深さ4mの縦穴。入口は狭いが、そのまま小ホールに続き、その先は落石などによって、やや複雑な小支洞が続くが、いずれも4~5mほどで行き止まり。また、最下層部には、わずかに溶食形態が見られる程度で、二次生成物は認められない。
以上のように、この洞窟に関しては本調査の必要性がないと思われる。付近の地形からいっても、新洞発見の可能性は考えられない。
この阿座穴に関しても、どうして、このような場所に鍾乳洞が発達したのか不思議である。おそらく、発生条件的にもぎりぎりのレベルではないだろうか。もっとも寄居町の水澄(すいっちょ)の穴の例もあるが……。
( 深田 記)