内間木洞第4次測量ケイビングに参加

1999年3月20日(土)~26日(金)まで、岩手県九戸郡山形村で内間木洞調査委員会主催の内間木洞第4次測量が実施された。PCCからは小堀が20日~23日まで参加した。22日までは連休だったので参加者は15名いたが、23日までは8名、それ以降は6名の参加であった。参加団体は、東山CC、江戸川CC、亀戸CC、PCC、明大地底研OB、あぶくまケイバーズ、秋田大、弘前大、その他、というところであった。
 今回は内間木の見事な氷筍の見られる季節ということで、3月に設定した模様である。確かに千畳敷には見事な氷筍が見られたが、この季節は雪解け水が多く稲妻洞は入口部分が半分水没していた。また、測量期間中降雪が多く、入口は毎日ラッセルしないと入れない状態であった。50mほど離れた沢への水汲みも、毎回ラッセルが必要なほどであった。
3月20日(土)
 小堀は、松澤氏(江戸川)、波多野氏(FADVEN)と一緒に、氷渡洞に寄ってから内間木に向かったので、到着は13時30分頃であった。たった3人のために氷渡洞を案内してくれた岩泉町に感謝。この日は他の参加者も、到着時間がまちまちであったので測量は行わず、洞内の状況調査を兼ねて、南洞、稲妻洞、北洞をまわっただけで終わった。
 泊まり場所のプレハブ小屋は、中央付近の天井から水がポタポタ垂れているので、中央の畳をはずし、周囲の畳しか使えない状態であった。鍋、釜、ガスコンロ、プロパンボンベは東山ケイビングクラブの菊地さんが用意しておいてくれた。夕食の鍋物は寄ってたかって作ったせいか、各自が「これも入れろ」というものを全部入れたため、得体の知れない寄せ鍋になった。夜のミーティングで、明日の班別と測量個所を決めた。小堀は明日到着予定の森住氏の班。今回は北洞の測量のみ。

3月21日(日)
 本日は4班構成。小堀および弘前大のX氏は、森住氏の到着を待って、11時ごろ入洞。受持範囲は、北洞の回り岩付近の主洞と下層。今日は主洞の部分なのであまり狭い所はない。昨年の秋の測量で置いたポイントを振り出しに、ポイントを6つほど進めた。森住氏がスケッチ、X氏がメジャー、小堀がポケコンを担当。
 当方は老眼のため、コンパスの細かい目盛りを読むのにいちいち眼鏡をかけなければならないので、読み上げるまで時間がかかる。北洞はかなり泥だらけになるが、二次生成物は豊富な穴だ。しかしポケコンの設定と目盛の読み取りに時間がかかり、ゆっくり観察している暇はない。
 主洞と下層といっても、完全に2つに分かれた洞窟ではなく、半分ぐらいは、主洞と下層が斜面状につながっている。これを図面にどう表すか難しいところだ。実際の通りに作図すると、かえってわかりにくい図面になってしまう。結局、主洞のレベルにある部分の洞幅を主洞として表現し、下層のレベルにある部分の洞幅を下層として表現することとした。
 15時半頃出洞。夕方、山根温泉に自動車で風呂に入りに行く。夜は、各班のスケッチ担当者が今日測量した部分を作図。後藤氏がパソコンとプリンターを持ってきて、測量結果を入れると、基線がプリンターから出力されるようになっていた。自分で作ったプログラムとのこと。夜中は吹雪で相当冷え込んだ。

3月22日(月)
 本日帰る組は、朝から帰る支度。あぶくまのY氏は今日の測量を終えてから福島まで帰るとのことで、測量班メンバーに残った。
 9時ごろ、帰る車を見送ってから入洞。今日は3班構成。森住班は森住氏、秋田大のZ氏、小堀の3人。当方は今日もポケコンを担当。今日は下層を中心に測量した。
 下を水が流れ、天井までの高さが低いため、無理な姿勢での測量が続く。ポケコンを設置すると天井に届きそうになる。頭が天井につかえて、目盛盤と目の高さが同じぐらいなので、目盛りを読むのに苦労する。しかも目盛盤と目の位置が近いので文字がぼやけて見える。目盛を読み上げるまで、昨日よりまた時間がかかる。パートナーに申し訳ないと気ばかりあせる。回り岩の終点から下層を戻って、昨日のスタート地点までつなげたところで、測量終了。
 やれやれとホッとする。思わず「ポケコンはとても洞窟で使える代物ではない」とグチが出た。何か現代技術を使った装置を開発する必要がある。ジャイロを仕組めば基線の絶対方向は容易に測定できるはずだ。「技術開発の好きな中小企業のオーナーに知り合いはいないか」と頭をめぐらす。
 全体指揮の後藤氏の作ってくれた暖かいスープで昼食。気がつくと、昨日と同じ場所で昼食をとっていた。14時出洞。夕方、山根温泉へ風呂に入りに行く。そのころあぶくまのY氏が、泥だらけの装備を手際良く始末して、一人で自動車に乗って帰っていった。夜はありあわせの食材ですます。

3月23日(火)
 本日は午後帰る予定なので、あまり泥だらけになりたくないと無理を言って、測量班からはずしてもらった。そのかわり測量班の昼飯づくりとラッセル。盛岡行きのバスの通る山形村まで車で送ってもらうためには、自動車を雪から掘り起こし、ラッセルをしておかなければならない。それでも森住氏が千畳敷で氷筍を撮影しているのを見たり、新川洞に入る余裕はあった。
 森住氏は撮影のあと、昨日の下層に入り再測量してきたとのこと。10度ほど角度がずれているところがあったそうだ。昨夜作図してみて、下層から戻ってきた基線がスタートポイントから、ずれていたので測量しなおしたとのこと。やはりぼやけた状態で目盛りを読むのは、迷惑をかけることになると反省した。
 測量班が12時ごろ出てきて、ラッセルに加わったので30mぐらいは、道ができた。それから先は自動車道路まで惰性で押し切るほかはない。14時に後藤氏の車で山形村まで送ってもらった。その直前たまたま山形村の除雪車がきて、親切にも自動車道路だけでなく、少し中まで除雪してくれたので、難なく道路まで出られた。26日までのメンバーは山形村のスーパーで食料の買出し。森住氏と小堀は15時のバスで盛岡へ。

(小堀 記)