平原川・橋倉川洞窟探索

 2001年4月29日(日)、晴れ。群馬県甘楽郡下仁田町で平原川第1次洞窟探索及び、群馬県多野郡中里村(現神流町)で橋倉川第1次洞窟探索を行う。参加者は芦田、内山、大喜多、小山の4名。
 群馬県多野郡万場町(現神流町)、中里村、上野村、群馬県甘楽郡下仁田町など、神流川以北の山間部には、レンズ状の石灰岩帯が数多く分布しているが、洞窟の存在に関しては、ほとんど知られていない。それに対して、神流川以南の山間部には不二洞や生犬穴をはじめ、いくつもの洞窟が知られている。これらのことから神流川以北の山間部の石灰岩帯にも未発見の新洞がある可能性が非常に高いと考え、今回の洞窟探索を決行することにした。
 当初の予定では下仁田町から上野村、中里村、万場町と2日間かけて回る予定であった。しかし、初日に複数の洞窟を発見して、その探検に時間をとられてしまったのと、2日目が雨天で洞窟探索を中止してしまったため、結局、下仁田町と中里村の一部しか回れなかった。
 深夜の2時半に秩父で集合し、そのまま国道299号線を北上して、下仁田町に向かう。中里村橋倉を経由して、八倉峠越えて平原川左岸の石灰岩帯がある標高900m付近で車を止めた。
 林道から山の斜面を眺めてみるが、あまり石灰岩帯のようには見えない。しかし、よく見てみると、石灰岩の転石がところどころに見受けられる。とりあえず、着替えて谷底まで降りてみることにする。
 朝食を軽くとり、6:00に車を出発。4人が散開しながら、林道より斜面を降り始めると、すぐに石灰岩の露岩が現れ始め、この場所がまちがいなく石灰岩帯であることが判明した。そして、5分もしないうちに小山が涸れ沢沿いの小露岩に開口する洞口を発見した。
 さっそく、小山、大喜多の順で入洞する。入り口から5mほどは匍匐前進だが、それを抜けると、高さ3m以上の小ホールになっている。芦田も別行動の内山を呼び戻し、2人そろって洞内に入った。匍匐前進の狭洞から小ホールに抜ける場所は明らかに人為的に狭められていた。洞内から石積みして、人がギリギリ通れる四角い穴にしてあった。
 最初は遺跡かとも思ったが、洞内に焚き火の跡があり、右手の支洞っぽいところが平にならされている。また、入り口を人が動かせるくらいの石で内側から塞げるように工作していることから、何らかの事情で、この洞窟に隠れ住んだ人がいたのかもしれない。
 小山と大喜多は小ホールからまっすぐ続くルートを進み、芦田は小ホールの左手にある支洞に入ってみたが、結局、どちらも次の小ホールにつながっていた。この小ホールは崩落ホールで一見、あちらこちらに支洞があるように見えるが、最奥部に向かうルートと洞口方面に向かうルート2つ、そして、下層の水流部に向かうルートが1つだけである。
 下層の水流ルートは奥側は途中で狭くなって入洞不能になる。そして、手前側は崩落岩塊の間に流れ込んでいる。一方、上層の奥へ向かうルートも途中で狭くなって、入洞不能になる。洞床が土砂なのでディギングすれば、しただけ進むことができるが、デジカメで洞奥を撮影した感じでは、あまり希望が持てそうにない。
 結局、この洞窟の測線延長は約40mほどだった。人が入った形跡はあるが、ケイバーには知られていないので、一応「平原川の隠れ穴」と命名した。
 出洞後、再び散開して、洞窟探索を再開した。芦田、小山は谷底まで降りて上流に向かった。左岸側に湧水口があったが、「水道水源のため立入禁止」の看板があったので、近くまで行けなかった。しかし、人が入れるような穴ではないようだった。
 右岸側の山の斜面にも石灰岩の小露岩が認められたので、その付近も探索したが、成果はなかった。その右岸側の山の斜面から対岸を双眼鏡で眺めると、木立の間に石灰岩壁が見え隠れしていた。湧水口の上の岩壁には洞口っぼいものも確認できる。
 さっそく左岸側の石灰岩壁に向かうことにする。岩壁の下に到着してみると、双眼鏡で確認した洞口っぽいものは洞窟ではなかった。その付近も探索してみたが、やはり洞窟は見つからなかった。
 これで地質図に記載されていた石灰岩帯はだいたい見終わったと判断したので、車に戻ることにした。全員が車に戻ると、谷の下流側を見に行った内山が「石灰岩壁があったが、呼び戻されたので探索していない」という報告をした。気になるので、車で見に行ってみることにする。
 内山の報告どおり、確かに林道から石灰岩壁が2つ確認できた。その石灰岩壁は林道側から谷に向かって涸れ沢を挟むように続いていた。なんとなく怪しそうだったので、芦田と内山が再び着替えて、探索に向かった。
 涸れ沢の左側岩壁を内山が、右側岩壁を芦田が探索しながら涸れ沢を下っていったところ、芦田が人がギリギリは入れる洞口を見つけた。さっそく入洞してみると、すぐに立てるようになり、奥が続いていた。まちがなく洞窟だったので、洞口に戻り、全員を呼び集めた。
 その洞窟は入り口から7mほどに崩落岩塊があり、その隙間を抜けると、上に向かう支洞が6mほど続いている。下で続く奥側主洞は狭くなっていて、ディギングをしないと、人が抜けることができない。
 奥からは冷気が流れてくるので、続いている公算が大である。また、デジカメで奥を撮影してみると、人が入れる空間が写っていた。そこで小山がディギングをして、アタックしたが、ギリギリのところで通過できなかった。出っ張っている石を排除すれば、通過可能になるが、今回のディギング装備では排除困難なので、次回に出直すことにした。
 この洞窟には人が入った形跡がまったくなく、洞壁も非常にきれいだった。今のところ、測線延長は15m弱だが、奥が続く可能性は非常に高いので、「平原川の風穴」と命名した。
 この後、車に戻り、標高1000m付近にある石灰岩体に向かうことにする。林道が平原川を横切る所で車を止め、再び着替えて谷を登った。途中に堰堤が3か所もあり、遡行しにくい谷だった。そのうえ、石灰岩の転石は認められるものの、肝心の母岩がまったく見あたらない。地質図上の石灰岩体を通り過ぎてしまうと、石灰岩の転石も極端に少なくなってしまう。
 谷を石灰岩地帯まで戻り、右岸側の涸れ沢を登ってみるが、はっきりとした石灰岩の母岩は見つからなかった。この付近には洞窟はありそうになかったので、一旦、車に戻ることにする。次に最初に探索した石灰岩体が地質図上で平原川右岸の上方まで延びているので、その付近の林道に移動した。
 ここも林道付近では石灰岩体っぽく見えないが、谷の方をのぞいてみると、下の方に石灰岩っぽい岩場が見える。そこで内山が偵察に出たところ、やはり石灰岩だった。車で待っていた3人が昼食をとっていると、内山から「洞口を見つけた」とのと連絡がトランシーバーで入る。
 まず、芦田が内山の探検装備を持って、その洞口に向かった。その場所は意外に車から近く、林道から延びる小尾根のすぐ下だった。小尾根の先っぽ全体が石灰岩体で、母岩が激しく溶食されていた。
 内山が見つけた洞口は幅0.5m、高さ1.5mほどで、洞内は5mほどは立って歩ける。その先は葡匐となるが、5mほどは入洞できる。それ以上先は狭くて進むことができないが、奥は広がっている。ただ、狭洞部のディギング作業は崩落岩塊が大きくて非常に困難である。
 一方、葡匐が始まる付近の上部には支洞があり、そちらの方も5mほど入洞できる。そして、下の主洞と同じく狭洞となり、洞奥は続いているが、ディギング困難で、それ以上進むことはできない。
 今のところ、測線延長は15mほどであるが、穴自体は続いているので、どのようにディギングして奥を極めるのかは、今後の課題である。ただ、洞窟は相当風化していて、残存洞であることには違いないので、あまり期待は持てないかもしれない。一応、「平原川の残り穴」と命名する。
 この付近で、さらに探索を行ったところ、「平原川の残り穴」よりも下流側の下で冷気が吹き出す場所を2か所確認した。どちらも石灰岩の小露岩の下のガレ場で、時間をかけて、石を排除すれば、洞口が開く可能性は十分にある。今回は時間の関係で断念したが、次回は、ぜひチャレンジしたいと思う。
 平原川での新洞探索が予想以上の成果で、時間が予定よりもずいぶんとオーバーしてしまった。結局、最初に計画していた日影山西方にある石灰岩体の探索は車から相当歩くので、後日にすることとして、石灰岩体が林道近くにある日向山南方の橋倉川に向かうことにした。
 その途中、「平原川の残り穴」があった石灰岩体から林道を500mほど進んだところで、再び石灰岩体が見つかった。林道の山側の切り通しが石灰岩だったため、車を止めて、谷側を確認したところ、林道直下に石灰岩の小露岩を見つけた。しかし、地質図では、この場所に石灰岩体の記載はなかった。
 一見しただけでも、けっこう怪しそうな雰囲気ではあったが、やはり時間がないため、この付近での洞窟探索も次回に持ち越すことにして、再び橋倉川に向かって車を進めることにした。
 橋倉川沿いの石灰岩体は標高1000m付近にあり、谷の両岸に分布しているので、期待をもって臨んだが、意外なことに、谷沿いでは石灰岩の転石しか発見できなかった。そこで、もう少し山の上の方を探索しようとしたが、突然、雨が降ってきて、探索を断念せざる得なかった。事前の天気予報では夜までは保つはずだったので、非常に残念だった。
 雨天の中、洞窟探索をすることは困難であり、ほとんど成果を上げることはできない。そして、翌日の天気予報を確認すると、終日雨とのことだった。4人で相談した結果、今日1日でそれなりの成果を上げることができたので、翌日の洞窟探索を中止して帰ることとなった。
 今回の洞窟探索では当初予定していた探索場所の半分も回ることができなかったが、それでも3つの新洞を発見することができた。この調子で探索を続ければ、神流川以北でも洞窟数を2桁台にすることは十分可能であると思われる。よって、この地域での洞窟探索は、今後の重要課題である。
(芦田 記)