2001年3月10日(日)、晴れ。埼玉県秩父郡小鹿野町で赤平川支流日向沢第1次洞窟探索を行う。また、埼玉県秩父郡吉田町(現秩父市)で石間川支流滝ノ沢第1次洞窟探索を行う。さらに、その過程で確認した陰陽洞で第1次探検ケイビングを行う。参加者は芦田、星野の2名。
午前中、まず小鹿野町日向沢の標高700m地点に向かう。地質図によると、この付近には石灰岩体が広がっているはずだった。この地域の既知洞窟のほとんどが標高700m付近に分布しているため、それなりに有望視していた探索ポイントである。
林道を車で登っていくと、標高650m付近の日陰には溶けずに残っていた雪がアイスバーン状になっていた。探索ポイントまではそう遠くなかったので、無理をせずに車を降りて歩いていくことにする。
9:45、着替えて車を出発する。沢沿いに登っていくと、激しく溶食され、穴だらけになった石灰岩の転石が多数見受けられる。しかし、肝心の母岩はまったく見あたらない。林道が沢を横切るところで、芦田はそのまま沢沿いを、星野は林道沿いに探索を進めることにする。
芦田は日向沢をどんどんつめていき、沢の最上流部に二子山の東側を回り込む林道が見えるところまで進んだ。しかし、沢の積雪がひどくなり、それ以上進むのは困難になった。以前、二子山の林道から日向沢を見たとき、左岸側の山腹に怪しい場所があったのを思いだし、左岸側のガレ沢を登ってみると、わずかであるが石灰岩の母岩が現れてきた。
そこから山の斜面を登ったり降りたりしながら下流方面に戻っていくと、石灰岩の尾根筋に出る。岩壁が溶食されていて、非常に怪しい雰囲気だったが、人が入洞できるような穴は見つからなかった。
地質図から地形図に石灰岩体をプロットする過程で若干の誤差が生じる。どうやら、今回も実際の石灰岩帯は沢沿いではなく、左岸側の尾根沿いだったようである。11:45に車に戻る。
一方、林道沿いに探索を進めていた星野は途中、何カ所か小規模な石灰岩壁を確認するが、やはり人が入洞できるような洞窟を見つけることはできなかった。茅ノ坂峠を越えて、山の北側に回り込むが、林道の雪がひどくなったため、戻ることにする。林道の途中で東の方に見える山──白石山の西端に怪しい岩壁を遠望するが、石灰岩壁かどうかは確認できなかった。11:30に車に戻る。
2人がそろったところで今後の方針を相談する。当初の予定では茅ノ坂峠を越え、八谷に出て、三田川の風穴についてヒヤリングし、ほかの標高700mにある石灰岩体を探索することになっていた。しかし、標高650m以上の日陰には雪が残っていて、林道を車で走るのは無理と思われた。そこで予定を変更して、標高500m付近の石灰岩体を探索することにした。
一旦、国道299号線まで降りて、小鹿野町の中心街まで戻り、そこから吉田町の石間に向かう。石間川上流部の両岸、それぞれ標高500m付近にはまとまった石灰岩体が地質図上で確認できる。このうち、手前──左岸側の石灰岩地帯に向かう林道に入った。
林道は途中までは舗装されていて、石灰岩地帯に入った辺りで舗装工事をしていた。工事のじゃまになるといけないので、とりあえず最初の涸れ沢は通過し、次の沢の前で車を停め、昼食をとった。食事をしながら沢や付近の山肌を観察すると、石灰岩の転石があるのがわかった。
昼食後──12:45、これからどうするか相談する。じつは手持ちの5万分の1地質図(万場)が林道のちょっと先で終わっていて、それより先の石灰岩体の分布がどうなっているか不明だった。そこで石灰岩地帯がどの辺りまで続いているか偵察してから、目の前の沢を登ることに決める。
車を動かして1分もしないうちに、林道左側が石灰岩の切り通しとなり、なんと洞口が目にとまった。あわてて急ブレーキをかけ、その洞窟を観察する。林道より2mほどのところに人一人がやっと入れるくらいの大きさの洞口が開口していて、黒い鉄格子がはまっていた。洞口の横には木の立て札があり、「奇穴 陰陽洞」と書かれていた。
洞口前の林道に車を停めるスペースがなかったため、とりあえず移動を再開する。すると、すぐに林道の幅が広がっているところがあり、車を停めるスペースがあった。しかし、行き先が気になったので、陰陽洞の探査は帰りにすることにして、そのまま林道を進んだ。
林道のところどころには石灰岩の切り通しがあり、途中の沢や山肌にも石灰岩の転石が見られた。ともかく行けるとこまで行こうということになり、林道をどんどん走っていったが、結局、標高600m付近の日陰で積雪に阻まれてしまった。林道自体は東にある白石という集落までつながっていそうな雰囲気であった。白石という地名も、じつに怪しい地名である。機会があれば、そちらの方にも探索の手を広げたいと思う。
Uターンして林道を戻る途中、沢を観察していると、石灰岩と思われる岩場の下に洞口ぽい黒い影が見えた。車を停めて双眼鏡で確認してみると、どう見ても石灰岩の溶食穴に見える。そこで沢と林道が交わるところまで移動し、沢沿いにその場所に向かった。
沢は涸れ沢だったが、石灰岩の転石だけでなく、溶食された母岩が石碑のように飛び出しているところもあった。洞口らしきものが見えた右岸の岩場はまちがいなく石灰岩だった。そして、空いている穴も溶食された石灰洞だった。しかし、奥行きは2mもなかった。
その岩場沿いに下流方向に平行移動していくと、いつの間にか石灰岩壁の上にいることに気がついた。そこで下流側に回り込むようにして、沢に降りてみると、なんと、岩壁の下に大きめの洞口があった。間口5m、高さ1.5m、奥行き3mほどで、それ以上奥はディギングしないと入洞不能だった。しかし、行き先は超狭洞で3m以上は続いていた。また、洞口付近には二次生成物として、太いつらら石と石柱が確認できた。この穴は後ほど「滝ノ沢のディギング穴」と命名する(この時点では沢の名前が不明だった)。
洞口前の沢には先ほどまで流れていなかった水流があり、不審に思って水流をたどってみると、対岸──左岸側の岩場の下から湧き出していた。石灰洞ぽい感じであるが、崩落岩塊によって完全に埋没していた。岩壁の上方にはクラック状の洞口が確認できるが、装備がない状態では取り付けそうになかった。今後の課題である。一応、ここも「滝ノ沢の水穴」と命名する。
上流側には石舟沢鍾乳洞の前にあるような石灰岩がきれいにえぐれた涸れ滝あり、その下に入洞不能な超狭洞の洞口も確認した。涸れ滝の長さは5mほどであったが、見た目は石舟沢の「石舟」とまったく同じものだった。
そこから林道まで上がり、車まで戻る。沢は林道が横切っている地点で、2つに分かれていた。石灰岩の転石がけっこうあるので、芦田が右側の沢、星野が左側の沢をそれぞれ探索してみることにした。
芦田が探査に入った右の沢は入り口付近にこそ石灰岩の母岩が見られたが、奥の方では石灰岩の転石さえほとんどなかった。そこで尾根を越えて、星野が探査している左の沢に向かった。一方、星野が探査に入った左の沢も入り口付近には大きな石灰岩の転石があり、若干の母岩も見られたが、奥に行くほど石灰岩がまばらになっていった。
左右どちらの沢も奥に行くほど石灰岩が少なくなり、水流も復活していたことから、石灰岩体は林道と沢が交差する付近までのようであった。合流した芦田と星野は車まで戻り、陰陽洞に向かうことにした。
車で林道を下っていくと、谷側に見事なカレンフェルドがあった。車を停めて、谷をのぞき込んでみると、下の方に石灰岩壁が続いているのが確認できた。時間はすでに15:00だったが、カレンフェルドにだまされたと思って、降りてみようということになる。
石灰岩壁は林道のすぐ下から始まり、沢までずっと続いていた。ところどころに穴っぽいものがあるが、どれも人が入れる大きさでは奥が続いていない。しかし、沢まで降りると、河床レベルに超狭洞が1本見つかった。奥がずっと続いているのは確認できるが、ディギング作業をしないと入洞できない。「滝ノ沢右岸の穴第一洞」と命名する。
そして、沢に降り立ってみると、上流側も下流側にも大規模な石灰岩壁が続いていた。思わず地図を確認するが崖マークはまったくない。地形図で確認できないような大岩壁が存在することに驚きながら、まず下流に向かうことにする。
ほとんど移動しないうちに沢の両岸に切り立つ石灰岩壁にぼこぼこと穴が開いているのが確認できた。ほとんどがのぞき込んですぐ入洞不能になるが、左岸側に穴の向こうに空が見える洞門を見つけた。洞門の向こう側は天井が抜け落ちたような小ホールのように見えるが、洞外からではよくわからない。
しかし、入り口に大きなチョックストーンが引っかかっていて、下から入洞するのは危険であった。さらに岩壁は左右ともずっと続いており、上に回り込むのは大変そうであった。ということで、今回は入洞を断念した。とりあえず「滝ノ沢の洞門」と命名する。
下流に向かうと、小さい滝があり、それより先は河床面が石灰岩の母岩となっていた。滝を降りると、左岸側に奥行き2m弱の穴があった。岩壁の上にも複数の洞口が確認できるが、そこまで登るには装備が必要で、今回は入洞できなかった。
右岸側の岩壁にも複数の洞口があり、そのうち比較的低い位置にある1つに入洞することができた。奥行きが6mほどの横穴だった。一応、「滝ノ沢右岸の穴第二洞」と命名する。
沢の下流側は高さ10mほどの滝になっていて、沢沿いに下流に行くことができなかった。そこで右岸側を高巻きして小尾根を越えた。予想どおり下流側にも石灰岩壁が沢までずっと続いていた。対岸──左岸側岩壁の高さ20m付近に洞口のようなものが確認できるが、やはり入洞できない。
沢を渡り、左岸沿いの石灰岩壁沿いに下流に向かうが、岩壁が徐々に沢から離れていく。石灰岩壁が切り立った岩壁から急斜面の岩場に変化した辺りで、沢に下りようとしたところ、下の方が崖になっているような感じがしたため、山腹を上流方面に平行移動してから沢に下りた。今、迂回した崖が石灰岩壁かどうか確認したかったが、時間がなくなってきたので車に戻ることにした。
17:00に車に戻り、今度こそ陰陽洞に向かう。途中、植林が切れた付近から対岸の山を双眼鏡で観察すると、樹林に隠れて、石灰岩壁がそこそこあることが確認できた。地形図で位置を照合した結果、この付近の石灰岩地帯は沢を縦断するように、最低でも約500m以上は続いていることが判明した。この規模は1度や2度の洞窟探索で回りきれるようなものではない。今後、課題が1つ増えたことになる。
陰陽洞手前の林道が広がっているところに車を停めて、徒歩で洞口に向かう。洞口は林道工事でできた石灰岩の切り通しに開口している。洞口の鉄格子には鍵が付いていたが、すでに壊れていたため、扉は簡単に開いた。洞内をのぞくと、竪穴のようであった。
まず、芦田が入洞する。石を投げ込んでみるが、それほど深そうではない。少し下るとストーンと落ちているが、鉄パイプの梯子が組まれていた。梯子の強度を慎重に調べるが、問題はないようだった。竪穴は深さ5mほどで小ホール状だった。
芦田は洞床に降り立ち、周囲を探査した。どうやら竪穴を下りて、おしまいの穴のようだった。
すぐに星野を呼び、2人で写真撮影を行った。洞内の二次生成物の保存状態はきわめて良好だった。おそらく林道工事の際、開口した洞窟で、昔から知られていなかったからではないかと思われる。結局、陰陽洞は深さ5m、全長9mほどの洞窟だった。星野、芦田の順で出洞し、扉を閉めて車に戻った。
18:00、着替えをすませて、林道を下る。当然、工事はやっていなかった。沢口の集落に出るが、もう暗いせいか人が出歩いていない。今日、探査した沢の名前が地形図に載っていなかったので、地元の人に聞いて確認したかったが、遅すぎて無理かもしれなかった。
そこで石間川沿いの道路が沢を横切る橋に名前が書かれているかもしれないと、石間川沿いを下流に向かう。しかし、橋には名前が書かれていなかった。今日はもう確認できないかとあきらめかけたとき、橋の目の前の家から人が出て雨戸を閉めて始めた。チャンスとばかり、声をかけてみた。
その人は、もう暗くなっている時間にもかかわらず、親切にいろいろと情報を教えてくださった。まず、肝心の沢の名前が「滝ノ沢」であること。そして、陰陽洞が林道工事で見つかったこと。さらに、この橋のたもとから続く滝ノ沢沿いの林道終点から500mくらいのところに石灰岩壁があり、小さい穴があるということ。本当にどうもありがとうございました。
今回の洞窟探索は午前中はほとんど成果がなかったが、午後は久方ぶりの大成果となった。規模は小さいが、今までケイバーに知られていなかった洞窟を確認し、そこそこの規模の洞窟がある可能性が高い大石灰岩地帯を確認したからである。というわけで、今回の探査結果を十分に検討して、今後の洞窟探索に活かせば、必ずや新洞を見つけることができると確信している。
(芦田 記)