秋吉台大会 in 1999に参加

 1999年8月7日(土)~9日(月)にかけて山口県美祢郡秋芳町の秋吉台で日本洞窟学会の総会とケイブフェスティバルが開催された。
 昨年の富士火山洞窟での大会から、学術発表だけでなく、ケイビング活動も大会行事として実施されるようになったので、一般のケイバーの参加が目立ってきた。今大会は180人ぐらいの参加があったが、学者の数はせいぜい30人ぐらいではないかと思われる。今回は学術大会以外にも豊富な講習会が用意されていた。
 PCCからは山西、北沢、辻、佐藤、小堀の5名が参加した。山西はレスキュー、北沢は洞窟水泳、辻は測量、佐藤は測量と水泳に参加。ここでは筆者の参加したディギングと狭洞突破講習会を主体に報告する。
 8月7日(土)、晴れ。
 横浜を早朝の新幹線で発ったので、会場についたのは午後2時ごろ。昭和45年に秋吉台で第10回ケイビング大会が開かれて以来、30年振りの秋吉台。まぶしいくらいの緑と暑さにクラクラしながら、会場の秋吉台科学博物館の講習室に入った。
 丁度パネル発表が始まったところで、20枚ほどのパネルに、勝手気ままな資料や写真が貼られていた。人に見せよう・分からせようという気はさらさらないような資料だ。でも、発表者に聞いてみると、そうとうな労作であることが分かるものもあった。
 筆者は洞窟の専門知識は無いので良くわからなかったが、観察結果はこうなっていましたという段階の発表が多く、そこから自分なりの仮説や法則性まで導き出しているものは少なかった。一つだけ、溶岩洞の研究で、自分なりの仮説を立て、なぜそのような形状になるのかを説明しているものがあった。学生時代、流体力学研究室にいたのでこれは分かりやすかった。
 その後、洞窟学会総会があり、夜は懇親会。飲むほどにあちこちで話の輪が広がり、各組織の代表が次々と挨拶するが、ほとんど聞き取れない。いや、聞いてる奴もいないと言った方が正確か。今年も韓国から十数名の方が参加していた。多いに楽しんだところでお開き。

 8月8日(日)、晴れ。
 ディギング講習会に参加。10時に博物館前に集合。山大洞研の方が主催者。参加者は7人。みな学生のようだった。主催者も当方の年齢を見て「大丈夫ですか」と心配そう。今日のゲレンデは葛が穴。秋吉洞との連接部のディギングを行うとのこと。
 自動車に分乗して現地に向かう。自動車を降りてから洞口まで距離はわずかだが、ひどい迷路の藪こぎ。途中に黒曜石の露頭のようなものがあったが、石灰岩地帯に黒曜石があるかね、ひょっとしたら産業廃棄物かと首をひねる。
 11時入洞開始。葛が穴の入口部分は30度の傾斜で70mほど下っている。そこには山大洞研がロープを固定してあった。このスロープは浮石が多いので、全員ハーネスをつけてロープに通し、一団になって下る。
 その底についたところから水流の中を進む。洞の断面がいかにもトンネル状なので、壁面を良く見たら削岩機の跡があちこちに残っていた。聞いてみたら、元は自然洞だったが水源工事のため拡張したのだそうだ。だんだんと水も深くなり、一番深いところは胸ぐらいまであった。
 しばらく進むと地表に通じる20mほどの竪穴にでて、上から光が差込んでいた。そこには小さなダムもつくられていて池のようになっていた。ここを昔は水源として使っていたとのこと。そのちょっと先でいよいよディギング開始。秋吉洞まで行けるかと楽しみにしていたのだが、残念。
 腿ぐらいまでの水流の中で底の大きな石を掘り起こし、脇にどける作業。当然の事ながら全身水につかっての作業だ。ウエットスーツは着ていないが、厚着をしてきたのであまり寒さは感じなかった。大勢でやると結構はかどるものだ。主催者側が寒さを心配したのか作業は1時間弱で終わり。やや物足りない感じで引き上げ。
 12時40分に車のところまで戻った。昼飯が運ばれてきているのには感激。各講習会のゲレンデまで弁当を運ぶのは大会事務局も大変だったろう。博物館に14時に戻り、解散。
 時間が余ってしまったので、秋吉洞に入ってみた。黒谷支洞の鍾乳石が黒ずんで、照明も薄暗くなっていたのにはびっくりした。30年前の印象は、純白な鍾乳石がふんだんに垂れ下がり、それはそれは見事な洞窟だったと記憶している。

 8月9日(月)、晴れ。
 9時博物館集合。今日は狭洞突破講習会。参加者は4人。昨日は参加者ゼロのため中止になったそうだ。この講習会も山大洞研が主催。車で住友セメントの石灰石搬送路の下に移動。鉱山はお盆休みなのか、搬送路は動いていなかった。そこから歩いて5分で一本杉の穴。地の利の良い穴だ。
 洞口がいくつもあり、ロープ無しで下れるところを探すのにやや時間がかかった。10時入洞開始。狭い洞口を1人ずつ順に降りる。落盤で大きな岩が乱雑に積もっているような通路を下ってゆくと厚く泥の積もった大きな洞にでた。ここからは水平。左右に分かれるところで右の洞を進む。途中から洞底は砂礫となった。このあたりから段々と天井が低くなり、ついに前進不能。
 迂回路探しにしばらく迷っていたが、引率者が「ここだ、思い出した」と左手から上に登るチムニーを発見した。3mほどのチムニーだが、泥がついていて滑って登れなかった。とうとう下にいた他の参加者の肩をかりて登った。その先に、山大で通称「たこ穴」と呼んでいる2mほどの小さな竪穴があった。一度入ったら、泥でヌルヌルなので、なかなか出られない穴だそうだ。山大では新人を1人ずついれて、20分もがいても出られなかったら助けてやる、という訓練をしているそうだ。
 我々も1人ずつ入ってみたが、徳利のような構造で、1度入ったら出にくい穴だ。参加者の1人の某大学の女子学生が1分で出てきたのにはビックリ。全員で拍手。
 そこから先がいよいよ狭洞突破訓練のゲレンデ。見事に狭い。狭いところで詰まると、胸が広がる余裕も無いので、呼吸も苦しくなる。早くすり抜けようとあせると却って深みにはまる。小袖の狭洞を思い出す。なんとか全員そこを突破したしたところで、13時25分だったので引き返すことにした。全身泥だらけ。
 14時出洞。この穴は二次生成物が少なかった。車を置いたところで、農業用水の流れている溝に入って、泥落とし。着替えたあと大急ぎで、昼飯のオニギリをほおばり、車で秋吉台科学博物館での閉会式に向かう。
 15時から閉会式。九大の吉村先生が「今回の洞窟学会大会はみなさんも思う存分存分楽しめたでしょう。これも事務局の配川先生、地元の方々の絶大な協力があったからできたのです」と挨拶していた。本当に楽しい大会であった。

(小堀 記)