1984年12月15日(土)~16日(日)。東京都西多摩郡奥多摩町倉沢の倉沢鍾乳洞で、ケイビング大会が開かれた。参加サークルはSRA、駒沢大学ケイビングクラブ、東京農業大学探検部、日本大学探検部、PCC、法政大学地学会、明治大学地底研究部、立教大学探検部、早稲田大学探検部など9団体。約30人程が集まった。
初日、PCCは芦田のみが参加。SRAの水島氏と共に倉沢鍾乳洞の『第2下層部新洞』へ入る。この新洞の最奥部プール──『水晶池』と命名──と、外の倉沢の水穴との関係を調べるため、トレサーを流す。
以前から、この『水晶池』と『倉沢の水穴』とは非常に近いと推測されていたが、トレサーの投入により、はっきりしたことが判明した。
予想どおり、『水晶池』は倉沢の水穴の源流であった。しかも、トレサーを投入して、6分後には倉沢の水穴の洞口で、それを確認できた。(トレサーが『水晶池』全体に広がるのに5分以上かかっているので、実質的には1分ちょっとで、外に出たことになる)
この結果、『水晶池』と倉沢の水穴最奥部の水没部とは、5~10mのサイフォンになっているのではないかと思われる。うまくすれば突破が可能である。
夜は各サークルの活動報告と今後の活動予定の発表。また、洞窟情報の交換が行われた。その後は酒盛りとなる!
翌日、廣瀬、深田の2名が合流。午前中、倉沢の水穴付近で洞窟探索を行う。1本、風の流れが少しだけある穴を確認するが、ディギングは次回の探検で行うことにする。
午後からは倉沢鍾乳洞下流の左岸側の山腹で洞窟探索。約8m程の浸食洞を1つ発見しただけである。
( 芦田 記)