第10回国際火山洞窟学会に参加

2002年9月10日(火)~18日(水)まで、アイスランドで開催された第10回国際火山洞窟学会に参加した。日本からは、富士山火山洞窟研究会の小川先生、本多さん、PCCから小堀が参加した。会場はアイスランドの首都であるレイキャビクのグランドホテル。以下はその参加報告である。

 9月10日(火)、曇り。
午前中はグランドホテルで学会参加の手続だけ。受付の女性が超美人(写真1)なのでビックリ。プログラムを説明してくれたが上の空で聞いていたのでなんと言っていたか分からない。もっとも、正気で聞いていても英語では、ほとんど理解できなかったろう。
主催者代表のシギーと握手。非常に気さくな好青年だ。事前に何回かメールでやりとりしていたので当方のことを良く覚えていた。poor speaker であることを知っているので、実にゆっくり話してくれた。それでも分からないと紙に書いてくれたので、結構意思疎通ができた。
午後はレイキャネス半島の巡検ツアーなのでツナギを着てグランドホテルに集合。13時にバスで出発。参加者は35人とのこと。R417を進むと40分ほどでレイキャネス半島の付け根にあるLeidarendi洞に着いた。ここは地図にも洞窟記号が載っているほどだからよく知られた洞窟なのだろう。バスの中で測量図が渡されたが、一本道の穴だったので、ろくに内容も見ないでザックに入れてしまった。長さは400mぐらい。
平らな溶岩流を300mほど歩くと洞口。溶岩に苔が厚く生え、スポンジの上を歩いているようだ。木は一本も生えていない。グレーがかった緑色の溶岩流に参加者のカラフルなツナギの列が続いている。

 天井の一部が崩落して窪地になった所に、上流と下流方向に横穴が開口している。下流側の穴(写真2)に入る。ほとんど崩落箇所も無く、床も平らな歩きやすい洞をゾロゾロと奥へ向かって進む。洞の幅は10m、高さは2mぐらい。高さ30cmほどの溶岩石筍が何本か見られるところを過ぎるとじきに下流側のENDポイント。
上流側の穴に入ろうと入り口までせっせと戻った。ずいぶん戻ったが入り口に着かない。「おかしいな、ルートを間違えたか」と不安になった。このころには各自バラバラになり、付近に人が見えない。「ままよ」とそのままドン詰まりまで進んだら人がいた。彼らについて引き返したら、最初入洞した場所の上流側の穴から外に出た。キツネにつままれた感じ。
バスに戻ってから測量図を良く見たら、上流と下流のENDポイント付近は1本だが、中間の入り口付近は2本の洞が並行して走っていた。その一方の洞だけが天井が崩落して入り口が開いていたのだ。自分では同じ洞を引き返したつもりだったが、もう一方の洞に入ってしまい、入り口を通り越して上流側のENDポイントまで行ってしまったことが分かった。こういう溶岩洞も珍しい。
次にレイキャネス半島の先端付近にあるブルーラグーンに向かう。1時間ほどで着いた。ここは地熱発電所の排水を溶岩流の窪地にためた大きな露天風呂で、観光地としても有名なところだ。
まず立食でアルコールとチーズのつまみが出た。こういう歓迎の仕方もあるのか。次にアイスランドの火山事情の展示室を見てから、会議室で地熱発電所の技師が概要説明。英語がちゃんと聞き取れなかったので定かでないが、排水温度は72°Cで、露天風呂も排出口付近は熱すぎて入れないとのこと。
さて待望のブルーラグーンに入る。乳白色の硫黄泉だ。湯船はとにかく大きい。端の方は湯気にかすんで見えない。各参加者とも初顔合わせだが、風呂に入っている気安さで多いに話が弾んでいる。当方もその輪に入って話したいが言葉が出てこない。夫婦で来ている人もいた。

9月11日(水)、曇り。
終日グランドホテルの会議場でシンポジウム。外国の発表者はプレゼンテーションに力を入れている。カラフルなスライドやビデオ、パソコンの動画など手が込んでいる。発表は英語なので聞いていてもさっぱり分からないが、スライドやビデオを見ると、何を話しているかぐらいは大体想像がつく。しかし肝心なところが理解できない。日本からは、本多さんが口頭発表、小川先生がポスター発表。当方は参加のみ。
休み時間に外に出たら、日本の国旗を含む7~8本の国旗がホテルの前に掲揚されていた。主催者に聞いたら、このシンポジウムへの出席者を歓迎して国旗を掲揚したのだそうだ。
コーヒーブレイクやランチタイムに他国の出席者と隣り合わせになると、さかんに話しかけられる。鉱物の名前であろうが「○○マイト」なる言葉がでてくるとさっぱり分からない。そこで行く先々で「私はジオロジストではない、ケイバーだ。職業はメカニカルエンジニアーだ」を繰り返す。
この調子では明日発表を聞いていても得るところがないので、受付の女性に頼んでヘイマエイ島の日帰りツアーを申し込んでもらった。

9月12日(木)、曇り。
朝7:30の飛行機でレイキャビクの国内空港を発った。16人乗りの小さなプロペラ機だ。通路を挟んで左右1列しか客席がないので景色は良く見える。しかし上昇するとすぐ雲につっこんでしまった。
ヘイマエイ島ではマイクロバスが迎えに出ていた。どこの国か知らないがお年寄りの団体客と一緒だった。ヘイマエイの町で大型のバスに乗り換え島内一周。日帰りツアー客は10人ぐらいしかいないので、大型バスに乗るとパラパラという感じ。
島内の見所は全部回ってくれたが、東西3km・南北4kmの島では10時ごろには終わってしまった。しかも肝心の1968年に大規模な割れ目噴火を起こした火山には登らず、「あとは各自、火山ショウを見て、昼食を取って12:30の飛行機で帰れ」とのこと。これでは物足りないので、「私は1人で山に登って、17:30の飛行機で帰るがいいか」と聞いたところ、OKというので、火山ショウを見てから1人で山登りにでかけた。火山ショウはレイキャビクで見たものよりはましだったが、ニュース映画を繋ぎ合わせた程度のもので、あまり学術的ではなく、物足りなかった。
ヘイマエイ港を振り出しにヘイマエイ湾に沿って進むと、1968年の大噴火で押し出した溶岩に押しつぶされたコンクリートの建物が残っていた。すごい威力だ。その溶岩流がヘイマエイ湾を塞ごうとした場所まで行ってみた。今は、その溶岩流の先端を削って道路ができているので当時のすさまじさは感じられない。
そこを過ぎてから真っ赤な溶岩流の中を適当に山頂目指して登った。できるだけ割れ目(と思える線)に沿って登ったが、あまり顕著な割れ目噴火の痕跡は残っていなかった。上に登るに従ってものすごい風になった。火口の北側は壁がなく、そこから大量の溶岩が流れ出ていた。そこに割れ目噴火の痕跡があった。割れ目内で固まったらしい一枚岩の溶岩が地中に残っていた。幅は30cmぐらいで長さは10mぐらいか。その延長線は北(ヘイマエイ湾の方向)に向かって浅い谷間になっていた。

 そこから火口壁を頂上目指して登った。所々、まだ蒸気が噴出していた。火口壁の稜線に出ると風で吹き飛ばされそうだ。吹き飛ばされないよう用心しながらやっと頂上についた。標高は220mしかないが海上に突き出た独立峰なので眺めが良い(写真3)。
赤い溶岩が固まった頂上には直径50cmほどの穴が、尾根を横切るようにあいていた。その穴からアイスランド本土の氷河を眺めた。乙なものだ。そこで一休みしていたらお尻が暖かくなってきた。地面を手で触ったら結構暖かかった。まだ火山活動が終了していないらしい。頂上からは溶岩流の先にヘイマエイの町と湾がよく見えた。溶岩流に飲みこまれようとした様子が良く分かる。
帰りは、風下側の道なき斜面を下って隣の古い火山(旧火山)に登った。一旦自動車道路にでて旧火山の登山道まで移動していたら、午前中に乗ったバスと出会った。運転手が手を振っていた。午後のツアー客もあったようだ。
旧火山はもう緑の草で覆われているが、表面にヒョロヒョロ生えているだけなのでガラガラした溶岩の上を歩くのと同じ。風上の斜面なので追い風が後から押し上げてくれた。頂上には十字架のようなものが建っていた。カメラを構えても風で押されて姿勢が定まらない。ピンぼけの写真ばかりだ。
新火山、旧火山とも頂上付近はコニーデ型の火山で傾斜も急だ。旧火山の方が20mほど高いが、まるで双子の兄弟のようだ。旧火山は全山緑色だが新火山は赤一色。その新火山の崩落防止のためか中腹まで人工的に草を植えている最中だった。
旧火山の頂上からはヘイマエイ空港が足元に見えた。もともと道など無いのだから、空港に向けて真っ直ぐ急な斜面を下る。富士山の須走り口のように一歩歩くとズルズルと2mぐらい進む。ここで転倒したら擦り傷だらけだ。転倒しないように注意しながら下る。
いつのまにか牧場に入ってしまい羊がものめずらしそうに眺めていた。羊の糞を踏まないよう気を付けながらなおも下ると牧場の柵にでた。溶岩が突き出しているところで柵の針金を乗り越え、空港の待合室についた。今下ってきた旧火山を振り返ると結構急な山容をしていた。
帰りの飛行機は反対側の景色を見たかったので、来たときと同じ側の座席を希望したが、「切符はもう出来ている。変更はだめだ」とのこと。

9月13日(金)、晴れ。
今日は終日、学会の巡検。9:00にバスでグランドホテルを出発。まず最初に、レイキャビクに暖房用の蒸気を送っている Nesjavallavirkjun 地熱地帯をたずねた。蒸気のパイプラインが溶岩流の上を延々と伸びていた。レイキャビクからの距離は東に25kmぐらい。近付くとかすかに硫黄の臭いがして、山腹から蒸気がもうもうと上がっていた。
シングバットラ湖沿いに北上し、シンクベトリルのギャウ(地球の裂け目:マントル対流が上昇し地上で左右に分かれる溝)を見物。ここは展望台から見ただけですぐ出発だったのでギャウの底まで降りられなかった。展望台近くの溶岩の表面には縄状溶岩が顕著に見える。湖の対岸の斜面にはギャウが何本も走っているのが見えた。
R365を東に進んで、Tintron と呼ばれる竪穴を覗く。ここは溶岩だまりの底から噴出した水蒸気でできた煙突状の竪穴だそうだ。竪穴の入り口が高さ3mぐらいの尖塔のように盛り上がっていた。その頂上に直径50cmほどの竪穴があいていた。尖塔の側面にもいろいろ面白い形の溶岩の造形物が残っていた。
そこからR37を北に進み、ゲイシールの間欠泉とグトルフォスの滝を見物。ともに有名な観光地なので観光バスが多い。ゲイシールの間欠泉は何の変哲も無い平原に熱湯が湧き出す池が5~6個あった。次にどれが吹き上げるか分からないので右往左往。底無しの湯道に青や緑の熱湯がたまり、静にあふれている。噴出す瞬間は池の表面が円錐形状に持ちあがり、その中央からドバーッと噴きあがるので壮観だ。その盛り上がった瞬間を撮ろうと何度も粘ったが、デジカメではシャッターチャンスが一瞬遅れるので、とうとうものにならなかった。
グトルフォスの滝からはR35を一気に南下し、レイキャネス半島の南海岸沿いにある Ama 洞に向かった。ここは溶岩鍾乳・溶岩石筍・溶岩ストローで有名なところだ。道路から5分ほどのところに大きな竪穴があり鉄梯子が設置されていた。その脇を通り、溶岩流を20分ほど歩くといよいよ Ama 洞だ。ここも天井が崩落したところに上流側の入り口があいていた。洞口は高さ2m幅5mぐらい。下流側は天井がずっと崩落し、U字型のくぼ地が続いていた。

 主催者側が発電機を洞口に設置し内部を強力なライトで照明してくれていたので、素晴らしい眺めだった。溶岩石筍が林立する部屋(写真4)では、天井の溶岩鍾乳やストローを折らないようにヘルメットをとって行動した。石筍の高さは30cm~60cmぐらい。ストローは径5mmぐらいで天井から所狭しと垂れ下がっていた。その部屋の手前に人1人通れる縦の狭洞があり、そこに鉄格子の蓋がついていた。内部を保護するためとのこと。

9月14日(土)、曇り。
今日は総会と委員会なので学会をサボってグリーンランドの日帰りツアーに出かけた。同じように考えたオーストラリアからの参加者と一緒になったので、お互いにニヤリと笑って飛行機を待つ。レイキャビク国内空港で唯一の国際線だ。
10:00発の飛行機に搭乗したが一向に離陸しない。そのうちに機内放送があり、乗客がぞろぞろと降りだしたので何だろうと思っていたら、たまたま乗り合わせていた日本人客ツアーの添乗員が「グリーンランドの空港が強風で着陸できないので出発を見合わせる。一旦、待合室に戻って待機してください」と自分の客に向かって説明していたので、やっと事情がわかった。
待合室に戻ったが30分ほどで欠航と決まり、ツアーがキャンセルになった。払い戻しの証明を受けてから午後はレイキャビク市内の見物をした。「市内を一望するには高さ75mのハットルグリムスキルキャ教会がいい」と聞いていたのでその教会に行った。なるほど良い眺めだ。
レイキャビクの町並みが手に取るように見える。ビジネス街の一部のビルを除くと、ほとんどが2~3階建ての民家がきれいに並んでいる。建物の壁はほとんど白だが屋根はカラフルだった。教会の訪問帳に漢字で記帳。前はアルファベットばかりなので目立つ。
夜はレイキャビク湾に浮かぶビデリー島で晩餐会。山小屋風のゲストハウスで19:00から始まった。たまたま私の隣に超美人の受付の女性が座ったので聞いて見たら、今回のシンポジウムの主催者代表のシギーの奥さんとのこと。ビックリ。
外国からの参加者は良く話す。話題が途切れることが無い。当方も黙っているわけにはいかないので辞書を片手に作文し、紙で示して会話。隣にいたオランダのジオロジストのバンデルパスにいくつか質問したら実に懇切丁寧な返事が返って来た。しかも絵入りで説明までつけてくれた。対面に座っていたスイス人はフランス語圏の人なので英語は苦手という感じだった。アイスランドのアイスケイブのビデオテープをくれた。これは楽しみだ。

9月15日(日)、曇り。
グランドホテルを9時に出発。レイキャビク北東方100kmの Hallmundar 溶岩流へ向かう。30分ほど走った所で、フィヨルドの底を海底トンネルで通過する。海岸沿いに平地がないので海沿いに「いろは坂」のような道を作って海底と同じ深さまでもぐってから海峡を横断していた。
途中のガソリンスタンド(コンビニを兼ねている)で各自昼食を仕入れた。R523に沿って東へ向い途中からF578に入る。12時ごろ目指す Hallmundar 溶岩流に着いた。盆地状になった溶岩流でかなりでかい。バスが止まったところから5分ほどで Surts 洞に着いた。

 ここも溶岩洞の天井が陥没して下流と上流側に横穴が開いていた。しかし、天井が崩落した後にまた溶岩が流れ込んだらしく、上流側の崩落壁(写真5)の下に円錐形の小山ができていた。
下流側の洞に入ってみたが特にめぼしい物なし。しいて言えば、通常、溶岩棚ができる位置にあたる側壁の下部部分が高さ2mぐらい剥離し、大きな上向きの舌のようになっていた。その表面には黒い溶融物が付着していた。上流側に入った人にも聞いてみたが大したことなしとのこと。
入り口の陥没部分の側面は概ね直角に近く、その壁に高さ20cm幅1mぐらいの小さな穴が開いていた。多分、内部からのガス圧で一旦は膨らみかけたが、次々と流れてくる溶岩の重みで押しつぶされてしまったのであろう。その穴の周囲だけ溶岩がライニングされたように貼りついていた。
昼食をとった後、バスで10分ほど移動したところにある Vidgelmir 洞にもぐった。15時ごろ入洞開始。大きな崩落穴の壁を鉄梯子で10mほど下り、大きな岩がゴロゴロしている急斜面を下流側の洞に入る。大きな洞の天井が数箇所で崩落しているので、下から見ると溶岩の天然ブリッジになっている。

 幅30m、高さ20mぐらいの大きな大きな洞が、ほぼ水平に延々と続いている。ENDポイントまで1.5kmとのこと。入り口付近に狭洞(写真6)があり床は完全に氷結していた。その狭洞部分に鉄格子の扉がついていた。参加者の多くはここで写真撮影に精を出していたが、当方はENDポイントを目指して、しゃにむに奥に進んだ。
どこまで進んでも洞のサイズはあまり変わらなかったが、途中は結構落盤していた。崩落した大きな岩が累々と積もっている上を何回越したことか。床に小さな溶岩石筍が一列に並んでいるところがあった。天井を見ると、ここから溶融状態の溶岩が垂れたと思われる亀裂が走っていた。壁面は表面に茶色のペンキを塗ったように、うすい溶岩膜で覆われていた。この洞内を充たしていた溶岩はかなり粘性が低かったらしい。
ENDポイント付近は洞も狭くなり、天井・壁面ともギザギザの溶岩が突き出していたので、この辺はガス溜まりだったのではないか。最奥部の壁の前に直径30cm、高さ10cmほどの臼のような形をした溶岩石筍が生えていた。最奥の部分とはいえ、吐く息がゆったりと更に奥の方に流れていたので、人間は入れないが穴は続いているらしい。
もう時間も16:30を回っていたので大急ぎで引き返した。ある大きな崩落ホールで出口方向を見失ってしまい、同じところをグルグル回ってしまった。こうなると心細い。気流が奥に向かって流れていたことを思い出したので、息を吐いて風上方向を定め、そちらに進んだら、やっと人声が聞こえてきたのでほっとした。

9月16日(月)、曇りのち晴れ。
ポスト巡検。参加者は12人。車はフォードの15人乗り、8000cc級の四駆ディーゼル。地面から床まで1mぐらいある。ステップもついていたが80cmぐらいなのでコンパスの短い当方は登るのに一苦労。これならアスキャにも十分入れるだろう。その他に荷物運搬用の四駆が1台。
グランドホテルを9時に出発して、F26を一路北に向かう。「F」がつく道路は山岳道路といってひときわ道が悪い。アイスランドを南岸から北岸まで未舗装の悪路で抜ける耐久レースだ。ちょうどマントル対流が地上に湧き出している線と一致している。
地図では、右はバトナ氷河、左はホフス氷河にはさまれた谷間を走っていることになるが、だだっ広い平原を走っているという感じの方が強い。緩やかに起伏する山また山、湖また湖の連続。晴れていれば素晴らしい色彩なのだそうだが、今日は曇りなので鉛色の湖面だ。遠くに、先週アタックを拒否されたアスキャの山々が見える。一箇所を除き川には橋が無い。勢いをつけて車ごとザブンと川に乗り入れ、しゃにむに渡河してゆく。
13時ごろ大きなキャンプサイトに到着。国立公園の管理事務所か、かなり広いプレファブの小屋がある。ここで昼食とのこと。参加者それぞれランチを用意してきていたが、私だけランチを持っていない。どうやら昨日のレクチャーで、「明日は一日中山の中なのでランチをゲットする場所が無い。各自持参するよう」との話しがあったらしい。英語不充分なため聞き漏らしたようだ。
皆が「私のを分けよう」と差し出してくれたが、非常食用に餅とガスバーナーは持っていたので早速焼き出した。箸で餅をひっくり返していたら、皆が珍しそうに覗き込んでいた。中には写真を撮っている人もいた。
膨らんでくるところが面白いらしく「それは何だ」というので、「ジャパニーズフードだ。ライスペーストクッキーだ。トライするか」と聞いてみたら、トライすると言う。醤油をつけて海苔で巻いて1個あげたら何人かでちぎって食べていた。伸びるところが面白くもあり、気味悪いものでもあるらしい。これはギブアップだという人と、テイスティーという人に分かれた。私のクッキングのおかげで出発を20分遅らせてしまった。申し訳無い。
高原地帯の悪路から谷間に下りるところに Aldeyjarfoss という水量豊富な高さ30mぐらいの滝があった。氷河から流れ出たばかりの水なので泥水である。滝の左側の壁は玄武岩の見事な柱状摂理が続いていた。ここから下流は牧草地帯になり緑と羊が見られるようになった。折から天気も回復し陽も当たってきたので緑が美しい。

 ゴーダフォスの滝を通り、ミーバトン湖岸の小クレータ群であるプセドウ(写真7)には17時ごろ着いた。日没は20時ごろなのでまだ十分明るい。プセドウを全員で一回り。1回の爆発だけでできたクレータなので、高さ10m直径30m~50mほどの小さなものだが、そこかしこに点在しなかなかユニークな地形だ。クレータの斜面は黒いガラガラの火山礫だが、その上に黄色く枯れた草がうっすら生えていてカラフルだ。
遠くにテーブルマウンテン型をした火山 Blafjall も見え、その頂上付近から滝が落ちている。アイスランドの滝はどこも山頂付近から落下している。小川先生によると、山頂付近に凝灰岩層があり水が浸透しないので、頂上付近から滝が落下することになるのだそうである。また、氷河の下で火山が爆発するとテーブルマウンテン型の山容になるとのこと。
次にグロウタギャウへ移動。国道1号からグロウタギャウへの道に入ったところにある牧場の入り口の扉は閉まっていたが、それを開けて通過。「おいおいそんなことしていいのか」と聞いたら、「羊が逃げないよう、ちゃんと閉めておけばいい」とのこと。先週プレ巡検でこの扉が閉まっていたので、大回りしてグロウタギャウには後側から入った。そういうことだったのか。「道路標識も出ているのに、何故、扉が閉まっているのか」と不審に思っていた所だ。

 グロウタギャウ(写真8)は溶岩流が見事に裂けて延々と続いていた。ギャウの方向は南北に走っている。上のほうの幅は1m~2mぐらいで深さ10mほどだ。下のほうはまだ裂けきれずにくっついている。このギャウの下に温泉が湧き出しているので、所々、白い湯気が上がっている。ギャウの上から美しい Herfjall クレータが良く見えた。
溶岩流の側面に穴が開き、その穴の中に洞窟温泉が湧いている。洞窟部分からもギャウの底に抜ける穴があった。湯は若干白濁した硫黄泉でゆったりと流れている。プレ巡検で入ってみたときは手足がしびれてくるほど熱かった。那須温泉の鹿の湯で一番熱い湯船と同じような感覚だったので48°Cぐらいか。
R1に出てマウナカルスの山脈を越え、左に入るわき道R863を6kmほど進むと、クラフラ地熱発電所に着いた。時刻は18:30。ここの従業員宿舎が今日の泊まり場所。従業員宿舎といっても全部個室で設備もビジネスホテル並だった。ホテルのレストランよりこの食堂の食事の方がおいしかった。
夜、玄関に出てみたら「これから温泉プールに行く」と人が集まっていた。私も参加するからチョット待っててくれと頼んで、水着・タオルを持ってサンダルで駆けつけたら、「登山靴をはいてランプを持って来い」とのこと。たかが温泉プールに行くのに何だと思ったがそのように準備して再度駆けつけた。
真っ暗な中を自動車に乗ってグロウタギャウに向かった。途中から別の枝道に入ったので場所が分からなくなった。牧場の扉を2~3回通過。車を止めた広場には羊が30頭ぐらい集まって寝そべっていた。自動車のライトに驚いて右往左往していたが、じきに奥のほうに移動していった。羊さん安眠妨害して申し訳ない。
そこから岩がゴロゴロした溶岩流の中を歩いた。なるほど登山靴とランプが無ければ歩けない。しばらく進むとギャウがあり、その底に下りる木の梯子があった。幅は2mぐらい、深さは14mとのこと。梯子を2本乗り継いで脱衣場へ。両岸垂直な岩壁なので、脱衣場は湯船の上2mぐらいのところに木の梁を渡し、その上にすのこをおいたものだった。こういう構造の露天風呂(野湯)も初めてだ。

 更に鉄梯子を1段降りて湯船へ。無色透明で適温の湯だ。これは極楽。深さは3mあり背が立たない。所々、上から落ちてきた岩が挟まっているので、その部分だけ背が立つ。見上げると両岸の壁がそびえ、空が黒い筋のように見える。湯船は幅2m、長さは20mぐらいある。端の方は崩落した大岩がかぶさり洞窟温泉になっている。
露天風呂なら裸で入りたいところだが、みな水泳パンツをはいて入っているので、当方もパンツをはいた。中にはシュノーケルを持ってきて、3mの底まで潜っている人もいる。思いきり泳ぐと手足がギザギザの溶岩に触れ、思わぬ擦り傷を作る。
野湯好きの当方にとっても、この温泉は世界最高(写真9)。まさに秘湯といえる。日本にはこのような温泉はない。

9月17日(火)、晴れときどき曇り。
車でグロウタギャウの脇を通り、優雅なクレータ Hverfjall に向かう。かなり近づいたがその手前を左に曲がり、溶岩流の中をしゃにむに進む。わだちの跡が数条残っているが道など全く無い。次に立ちふさがった火山の麓を北東方向に進む。急斜面をトラバースしているので車が30度ぐらい傾き、今にも横転しそうだ。必死に握り棒にしがみつく。難行苦行のすえ、その火山の北西側の裾に停車。見上げる火山の斜面は急だ。
こんな人跡未踏の奥地にも、はぐれ羊が2~3頭の群れとなって行動していた。草があれば何処にでも移動するようだ。もうじき羊をとり込む時期なのに、こんなところでウロウロしているやつをどうやって集めるのだろう。
ここで装備を整え、草木が1本も生えていない溶岩流を歩く。4000年前の溶岩流だというが日本の青木が原の鬱蒼たる樹海とは大違いだ。気温が低く雨が少ないためだろう。溶岩流の表面は研いだように滑らかだ。氷河で削られたためでないことは、表面に縄状模様が残っていることでも明らかだ。粘性はかなり低いらしい。
20分ほどで直径20mほどの陥没穴についた。その上流側と下流側に洞が伸びているとのこと。洞の上で足踏みするとボンボンと響いた。陥没穴は深さ10mほどで、主催者側がアルミのラダーをセットしてあった。この洞口からマウナカルスの地熱地帯の蒸気が磁石の真北に見えた。この付近では磁北は真北より西に16度ぐらいづれているはずなので、マウナカルスよりは東方に位置しているのであろう。
「ここは上流側の洞に入れ」とのこと。入り口付近に水溜りができていて壁をトラバースしていかないと濡れる。長靴をはいている人もいた。多分ここも、昨日のレクチャーで「長靴を持ってきた人は長靴の方が良い」と話しがあったのだろう。せっかく長靴も持ってきていたのに残念だ。水溜りを抜けると高さ50cmほどの狭洞。そこにラバーのシートを敷いてあったので主催者側の気配りに驚いた。
先頭を進んでいたオーストラリアの女性が狭洞を突破できず引き返してきた。50cmもあるのに。学者は無理をしないのかな。当方が代わって奥につっこむ。狭洞部分はほんの数mで内部は氷の殿堂となっていた。素晴らしい眺めだ。カメラをクラフラの宿舎に忘れてきたことを悔やんだが後の祭。
直径10mほどの部屋の真中に高さ3mほどの氷山のように大きな氷筍が成長し、裏側からライトを当てると青白く光って何とも幻想的だ。床は完全に結氷している。床の氷の厚さも相当なものらしい。学者も写真家もここで多いに芸術写真を撮っていた。
当方はカメラを忘れてきてしまったのでやることがない。さらに奥に進んでみたら狭洞となり、奥が続いていた。後にいた学者が「ここはどのくらい続いているのか」というので「ケイバーだ」と言ってきた手前入らないわけにはいかない。20mほどで行き止まりだった。溶岩のギザギザでゴアのツナギにカギ裂きを作らないよう注意して入ったつもりだが、出てきたらカギ裂きができていた。痛ましい。
しかし、アイスランドの洞は狭洞につっこんでも泥で汚れることはほとんどない。そもそも泥が無いのだ。これも陸地が新しいせいだろう。
12時に一足早く出洞し洞口でランチをとった。食べ終わっても後続が出てこない。みな相当、芸術写真に入れ込んでいるらしい。
一旦国道まででてから、次にディムボルギルに回った。ここは溶岩が湖のように滞留していたときに、暖められた地下水が蒸気となって噴出し、その噴出口周辺の溶岩が固まってできた煙突群だそうである。思い思いの形をした溶岩の黒いオブジェがそこら一帯に林立している。一番大きなものは高さ10mぐらいありそうだ。16時ごろクラフラの宿舎に戻った。早速カメラをとって、クラフラ火山の巡検にでかけた。
クラフラ溶岩流前の駐車場に車を置いて、各自勝手に溶岩流を散策。一番新しい噴出は1988年なので溶岩がまだ暖かい。割れ目の噴火列からはまだ湯気が立っていた。新溶岩流が流れたところは黒々とした溶岩が覆っているのですぐ分かる。小さな溶岩洞にも入ってみたが、まだ熱く、1分と入っていられなかった。
次に車でクラフラ山の中央火口丘に向かった。地熱発電所への蒸気収集孔群の間を登り、作業道路の終点から火口原に入って行く。これもわだちの跡だけの道無き道を進む。中央火口丘の麓に着いたら黒曜石が散乱していた。中央火口丘は黒曜石でできているらしい。頂上まで登り周囲を見渡す。火口原は見渡す限り緑の苔で覆われていた。その中を雨水で掘られた細い枯れ川がうねっていた。宿舎には18:30ごろ戻った。
食堂の夕食にご飯がでていた。日本を出てからレストランで注文した以外、始めてのご飯だ。しかしパサパサだった。でもおかずが美味いので、そのご飯でも腹いっぱい食べられた。町のレストランよりこういう宿舎の食堂のほうが実質的で美味い。
夜は又、グロウタギャウの秘湯に行く。今度はカメラを持っていって写真をとった。

9月18日(水)、雨のち晴れ。
クラフラの宿舎を8時ごろ出発。R1を西に向かう。アークレイリで昼食を仕入れた後、更にR1を Artun まで西に向かう。この山越えは氷河で作られたU字谷を進むので景色が良い。見上げるような急峻な山腹から滝が幾筋も流れ落ちていた。
Artun で南に曲がりF35という山岳道路に入る。今日はこの道をアイスランドの北海岸から南海岸まで抜けるので、ただひたすら走る。山への登り口にはスキー場のリフトもあったのにはビックリした。こんなところまで滑りに来る人がいるのかね。
高原特有の果てしなく起伏する砂礫地帯が続く。湖沼も散在しているがどれも水深は浅いらしい。地図では相当大きな湖がずいぶん小さくなっている所もあった。このルートはラング氷河とホフス氷河の間を走ることになっているが、谷間という感じはない。氷河ははるか遠方である。このルートは渡河は少なかった。一昨日走ったF26よりはましだ。
丁度中間に KJOLUR という直径15kmほどの丸い火山地形がある。その麓に Hveravellir という地熱地帯があり、景色の良い露天風呂もあった。ここで昼食というので、飯は後にして早速露天風呂に裸で飛び込む。すぐ脇を石灰華の沈殿した小川が流れ、真正面に大きなホフス氷河が遠望できる。素晴らしいロケーションの露天風呂だ。
アイスランドの氷河は谷間を流れるだけではなく、山岳地帯全体を大きく帽子のように覆っているので面積も大きい。アイスランド最大のバトナ氷河は1万平方キロなので、東京と埼玉と神奈川を合わせたぐらいの広さがあるとのこと。この氷河だけでヨーロッパ大陸の全氷河を合わせたものより面積が大きいという。
昼食を終えたのか、主催者のシギーとヤコブが露天風呂に入ってきた。当方が裸で入っていると言ったら、彼らも裸で入ってきた。彼らにとっては清水の舞台から飛び降りるほどの決断だったのではないか。客人だけに恥をかかせてはいけないというホスト精神のなせる技か。
そこを15:30ごろ出発し一路レイキャビクを目指した。F35の南半分は橋がかかっているところが多かった。グトルフォスの滝から「F」の頭文字もとれ、舗装されたR35号を一目散にレイキャビクを目指す。ゲイシールの間欠泉をチョット覗いて、あとはトイレ休憩だけで走り、レイキャビクには19:30ごろ着いた。日没前なのでまだ明るい。
各自の宿に寄り何人かずつおろす。最後に当方1人になり、ケプラビーク行きのバスターミナルで下ろしてもらった。ケプラビークまでバスで行きホテルにチェックイン。チェックインのときサインが必要な箇所に漢字でサインしたら、フロントのお嬢さんが「これは素晴らしい」と喜んでいた。日本人でも大抵はローマ字でサインするらしい。
国際学会に参加するには、英語を話すことより、まずヒアリングが出来なければダメということを痛感した。2年前のフランス1人旅では自分が理解できるまで何度も聞き返せたが、多人数で行動するにはそうもいかない。

なお、アイスランドの溶岩洞窟の一覧表は、アイスランドケイビングクラブのHPに載っている。どの溶岩流にあるかは載っているが、長さや深さまでは載っていない。クラブのメンバーが10人に満たないと言っていたので、多分、測量まで手が回らないのだろう。

(小堀 記)