明星山第2次洞窟探索/明星山の壺穴探検ケイビング

 1996年6月8日(土)~10日(月)、新潟県糸魚川市の明星山で第2次洞窟探索を行う。また、前回の明星山第1次探索で発見した明星山の壺穴でディギング作業を行う。参加者は芦田、小林、野中、廣瀬の4名。
 芦田、小林、野中の3人で秩父を金曜日の23:45に出発する。途中、本庄で廣瀬を拾い、関越-北陸自動車道経由で糸魚川まで行き、5:30には明星山のふもとの岡地区に到着した。区長さんの家を探し、林道のゲートの鍵を借りる(郵便ポストに入れておいてもらった)。
 そのあと、ヒスイ峡キャンプ場に移動し、ベースキャンプ設営。6テンと3テン、タープを張る。このキャンプ場は管理棟などもなく、炊事場とトイレ(きれいだけど、跳ね返りのボッチャンが怖い!)と空き地だけで、特に許可を取らなくても無料で利用できる。場所はP6岩壁の前の林道の上方にある。
 設営と準備が終了した後、明星山に向かう。車で林道を上がれば、車止めまで約30分。標高にして630m付近。10年前に1度来たことがあるが、地形、植生ともにすっかり変わっており、はたして、ディギング予定の明星山の壺穴に無事到着できるかどうか……。ともかく、登山道沿いに登り始める。登山道沿いに甘露水という湧き水があるがいわゆる石灰岩地帯の湧水ではない。そこを通り過ぎ、標高750m付近から登山道を外れ、山の中に入る。この付近からところどころに残雪があった。
 明星山の北東山腹を南に向かって、斜めにあがっていく。石灰岩の転石や残雪を乗り越え、明星山の壺穴があると思われる露岩に到着。ただし、洞口付近の場景を覚えていないので、1時間ほど、洞口探しを行いながら、露岩下を南に移動したが、見つからない。結局、最初に到着した地点のすぐ北側10mのところにあった。もっと最初のうちにきちんと探せば、すぐに発見できたのだ。
 明星山の壺穴は明星山の北東にある尾根の西にある露岩の一番右端にある。標高は815m付近。洞口は露岩の基部から約1mちょっとの所に真下に向かって開口している。したがって、洞口の真ん前を通っても、洞口を直に見ることはできない。洞口の大きさは人一人がちょうどチムニーで降りれるくらいの大きさで、少なくとも3mくらいまではフリーで降りれる。それより下はハング気味のフローストーンの壁で、ラダー類がないとは降下できない。洞口から洞床までは約13m。洞壁は真っ白なフローストーンに覆われ、洞床には獣骨が散乱している。途中のテラスには高さ1mほど、太さ30cmほどの石筍もある。
 今回のディギングルートは壁際にあるクラックに落石や土砂が流れこんで半分塞がれた状態になっている場所だった。この土石の排除を行い、その下に続く縦穴に入洞するのが、今回の主目的であった。しかし、残念ながら、土石を排除した後もクラックは非常に狭く、入ってすぐに入洞不能となってしまった。ただし、クラック自体は下の方で広がっており、洞自体はずっと続いている。これをディギングで突破するのは、毎週のように通わないと無理かもしれない。
 とういことで、出洞後、西の上の方の露岩帯で洞窟探しをしようと、移動を開始したところで、雨が降り始めた。沢には雪渓なども残っているような状態なので、今回は探索を中断し、下山を開始した。区長さんに鍵を返し、岡地区にある生協に夕食と翌日の朝食、昼食の買い出しに行く。しかし、店が小さくて品揃えが少ないため、満足な買い物ができなかった。長期の合宿を行う際は、緊急の買い物先とするにとどめ、買い出しはもっと市内に近い店の方がよいかもしれない。車があれば、それくらいは可能である。その日の夕食は雨の中、豚肉の焼き肉ほかいろいろ。
 翌朝、雨は上がっており、いい天気になりそうな気配だった。この日は明星山の山開きで公民館にて朝7時半から神事が行われることになっていた。そこで朝食前に、その場に来ている地元の登山関係者にヒヤリングを行うことにした。その結果、明星山にはこれといった穴はなく、南の清水山に横穴、縦穴があるということがわかった。詳しいことは山開きを仕切っている『いりやま岳友会』会長の中村光信氏が資料を持っているとのこと。神事が始まったので、夕方、訪問する約束をして、とりあえず引き上げる。
 朝食後、再び明星山に上がるため、区長さん宅へ。ところが、区長さんが留守のうえ、鍵もポストに入っていない。ゲートも閉まったまま。しかたがないので、東側の林道コースを諦め、西側の登山道コースで明星山に上がることにした。登山道口(標高250m)はキャンプ場の近くで、最初は樹林帯を上がっていく。途中から、明星山西側の石灰岩壁の下を延々と登っていく。まずは標高700m付近まで上がり、昼食をとる。その後、二組に分かれ、片方の班はさらに上に向かい、もう片方の班は岩壁沿いの真下を探索しながら下へ向かった。
 上班は標高約900mまで上がって探索を開始したが、急にガスが発生し、20~30m先さえ見えなくなる。残雪などがあり、危険を感じたため、上班は探索を断念して、下山する。標高800m以下になるとガスが晴れだす。一方、下班の方も露岩下に広がる雪渓のため、自由に動けず、探索活動は今一つだった。結局、この日は入洞できるような穴は発見できなかった。1本だけ視認することはできたのだが、岩壁の10m上に開口していたため、入洞できなかったのである。ボルト、ザイルなどの登攀道具が必要である。
 夕方、着替えて買い出し兼ヒヤリングに出かける。中村氏は市街に近い方に住んでいるので、買い出しを兼ねて訪問することにしたのである。中村氏のところにあった資料は東京農大の探検部が1977年の夏に行った調査報告書だった。6月に予備調査を、8月に本調査を行っている。報告書の内容は地元でのヒヤリング調査と洞窟探索、測量などの結果報告であった。その活動の成果は結果的には明星山の南にある清水山の方が中心になっていた。明星山については小さい穴2本だけの記載しかなかった。一方、清水山については野口の大穴という縦穴(農大の資料では-26mとなっているが、別の資料『青海・小滝カルスト地形』では-57mとなっている)、清水山鍾乳洞という横穴(63m)、20m以下の小洞窟5本、計9本の洞窟が記載されていた。
 あと中村氏から岡地区に昔あった観音堂の穴に関することを聞く。この穴については以前にも別の人から聞いたことあったが、今回、さらに詳しいことが聞けた。岡地区の観音堂の横に縦穴があり、犬を放りこむと、青海町の洞窟から出てきたという典型的な話(ちなみに『青海・小滝カルスト地形』という小冊子では野口の大穴に猫を放りこんだら、この観音堂の穴から出てきたとも書かれている)。また、冬、雪かきした雪をこの穴に放りこむと一晩ですべて消えたとか。そして、きわめつけは、小滝川の上流から下流の発電所への送水管工事の時のこと。この時、岡集落の下をトンネル工事した際、ポッカリと穴が開き、水がジャージャー流れていたという話は10年前にも聞いていたが、この時の工事で観音堂の隣にあった中村氏の家は床下に穴が開き、家が傾いて、現在の場所に引っ越したとのこと。今は家を取り壊し、土をかぶせて畑にしているが、掘れば、また穴が開くかもしれないとのこと。そして、最後に「掘りたかったら、掘ってもいいよ」と言われてしまった。はたして、今後の課題にすべきかどうか……。
 その日の夕食は貝や海老の炭焼き。なかなか豪華な食事をして、翌日の活動に備えたわけだが、3日目は朝から雨になってしまった。関東地方も梅雨入りしたというから、しかたがないのかもしれない。午前中だけ活動するつもりが、この雨で、すっかり気力が萎えてしまい、撤収作業を開始する。荷物を片づけ始めると雨が上がり始めたが、すでに装備をしまい終わった後だった。
 というわけで、野口の大穴や明星山北面の洞窟探しなど多くの課題を残し、今回の合宿は終了した。帰りには糸魚川温泉(1500円は少々高かったが、3日間の垢を落とし、いい気分にはなれた)に寄り、帰路についた。秩父には20:00頃に到着した。
(芦田 記)