石舟沢第1次洞窟探索

1994年10月9日(日)、埼玉県秩父郡大滝村(現秩父市)中津川支流石舟沢で第1次洞窟探索を行う。参加者は芦田、辻、濱田の3名。
今回、洞窟探索を行う石舟沢は両神山の南側にある沢で、地質図によると沢を帯状の石灰岩体が2本横切っている。また、その付近には「石舟」と呼ばれる石灰岩のなめ滝があることが「埼玉の山」という本に写真入りで載っている。さらに戦前に発行された「奥秩父2」という本にも「石舟沢には昔、贋金を作っていた岩屋がある」との記述があった。これらのことから小さな洞窟は必ず存在するはずということで、洞窟探索を決行することになった。
車を石舟沢入口の長栄橋横にある空き地に止めて、荒れた作業道のような登山道を登っていく。朽ちた木の橋などを注意して渡り、途中、藤十郎沢との二俣があるので、まちがわないよう右の石舟沢の方へ入らなければならない。そして、車から徒歩30分強で石舟沢の石灰岩地帯に到着する。
最初、左岸側で水穴のようなものが目にとまり、確認してみると、まちがいなく水穴。ただしガレがいっぱい詰まっていて、水につかりながらディギングをしないと入れそうにない。探索早々、そこまでしたくなかったので、芦田が水穴の上の方を探索してみたところ、水音の聞こえる小穴を発見した。しかし、ここもディギングで広げないと入洞不可能であった。さらに上の方を探索するが、溶食された石灰岩壁を確認するのみ。また対岸の右岸上方にも石灰岩壁があることを視認する。
そうこうするうちに下の沢筋より辻の呼ぶ声が聞こえてくる。急いで下りていくと左岸上流に穴が2つあるとのこと。1本は水平天井の10mくらいの穴で、もう1本はミニメアンダートレンチの25mほどの穴と辻と濱田が報告する。芦田の奥が続きそうかとの質問に2人とも続く可能性がないと言う。
さっそく、芦田がのぞいてみると、結果は最初の10mの穴はPCCの基準からすれば、十分にディギングが可能であった。行き先はヘルメットを横にして入って、5センチほど足りない天井高で続いて、風も吹いてくる。洞床は掘り下げることができる砂利だった。「石舟沢の風穴第一洞」と命名した。
2本目の穴は終点が崩落岩塊でふさがっていてフローストーンでおおわれているため、ディギング作業は絶望的だったが、洞口付近から続く別ルートをのぞいてみたところ、水平天井のルートがあり、奥の行き先は前の穴同様、ヘルメットを横にして入って、やはり5センチほど足りない天井高でずっと続いている。こちらも奥からは風が吹いてくるし、洞床は砂利だった。「石舟沢の風穴第二洞」と命名した。
両洞とも入り口付近が比較的広いので、この2洞が贋金を作っていた岩屋である可能性は非常に高い。また、ディギングで延びる可能もあったが、右岸側でも濱田が新たに洞窟を見つけたとのことなので、そちらの確認を先にすることにした。
濱田の報告によると、洞窟は水平天井になっており、匍匐前進で5mほどしか入洞できず、奥に行くにはディギングをしなくてはいけないとのこと。ところが、洞口に前に立つと、先の2洞とは明らかに風の流れが違う。芦田は「これは本命かもしれない」と2人に告げ、昼食をとってから、アタックすることにする。
昼食後、崖下に開口していて、下に降りるような感じで入洞する穴にチャレンジを開始した。濱田の話によれば、入ってすぐに水平天井のルートが始まるとのことだったが、風はそのルートではなく、右側の狭い穴からくる。そちらにつっこんでみると2人くらいがたまれる小ホールになっており、行き先は非常に狭いクラック状になって続いている。のぞいてみると奥の方で大きく広がっているように見える。しかし、岩盤からしみ出した石灰分によって固められたチョックストーンによって、進入することができない。
さっそく、タガネハンマーを取り出して、ディギングを始める。芦田ではあまり力が入らないので、濱田と交代する。芦田は上方のガレ石が詰まっている方のアタックを行った。こちら側は石灰分で固められていなかったので、どんどん石が排除でき、人1人ぎりぎりで通れるくらいの穴が開いた。一方、濱田の方もチョックストーンの角を欠くことに成功し、芦田と濱田は上と下のルートで、それぞれ同時に狭洞突破のアタックを行い、ほぼ同時に突破に成功した。
狭いクラックを抜けると、予想以上に大きな通路に出る。天井高12~13m、幅3~4mくらいの通路が狭洞クラックルートに対して右に直角になって奥に続いている。さらに奥からは水音もする。これはすごい穴かもしれないと芦田と濱田は話し合い、辻にも入洞するように伝える。
3人そろったところで奥に向かうことにする。少し行くと、今度は左に直角に曲がり、幅6、7m、奥行き10m、天井高2mくらいのホールになる。そのホールの洞床は板状の岩石が広く堆積している。そして、水流の音がする右方の洞床には幅50cmほどの谷が通っており、その下を水流が激しく流れている。いつもそうなのか、あるいは雨の後だったためかは判断できないが、瀧谷洞の水流よりもずっと水量が多い。
メアンダートレンチの水系沿いに奥に向かうと、再び天井高が10m以上になり、上の方が大きく広がっている。穴の横断面がウチワのような形になっている。柄の部分がメアンダートレンチで、風を送る面が上方の広い空間である。瀧谷洞のメインルートに匹敵する大きさである。
そして、予想どおり、滝が現れる。瀧谷洞の「登竜門の滝」くらいの高さだが、水量がぜんぜん違うので、体を濡らさずに登るのはほとんど不可能である。流れ落ちる水に足が触れると、さらわれてしまうほどの勢いがある。ここで滝登りのアタックを行うかどうかの決断を迫られるが、ここまできて、濡れるのが、いやだなどとは言っていられないので、アタックすることにする。ただし、芦田が登ってみて、行き先が行けそうもない場合は後続の者に合図を送って中止するということにした。
芦田は覚悟を決めて、水しぶきを浴びながら、滝を登った。登り切ると、ちゃんとメアンダートレンチの水系が続いているのが確認できた。さっそく、辻と濱田もずぶ濡れになって滝を登ってくる。しばらく水系沿いに行くと、水流は深いサイフォンなって一旦終わる。しかし、上方にエスケープルートがあり、サイフォンの反対側(?)に出られる。ところが、そこからの水系の水量がサイフォン前に比べて大幅に減っているのである。流れも弱くなり、最後は飛び飛びの池が続き、崩落岩塊で行き止まりになってしまう。?????である! あの水量は、いったいどこから……?

 ともかく付近の支洞をかたっぱしから詰めて、別水系に出ないかと、ルートを探すが、ほとんどの支洞がループして、もとの通路に戻ってくる。それらの支洞の中には小さな石筍やつらら石、また、螺旋状になったつらら石(非常に残念なことに現在は鍾乳石盗掘者によって、もちさられてしまいました)などがある。

 今回、中腰ないしは立って歩けるルートはだいたい探検したが、葡匐前進で入洞しなくてはならないルートの探検は断念した。3人とも水に濡れる装備では来ていなかったので、けっこう体に負担がかかり、それ以上の活動が困難になったからである。歩き回った範囲から推定して300mほどの規模の洞窟ではないかと思われる。この新洞窟を「石舟沢鍾乳洞」と命名することにした。
洞窟内の感じとしては大血川新洞の空間的規模を5倍くらい大きくした雰囲気だろうか。ともかく、それなりに楽しい穴であった。しかし、入洞すると全身ずぶ濡れになるのが難点である。対策は着替えを洞口まで持って行くしかないであろう。なお、石舟沢鍾乳洞は古寺鍾乳洞を追い抜いて、瀧谷洞、ケイ谷洞に続く埼玉県下第3位の規模の洞窟になると思われるので測量図の作成は絶対に必要である。
というわけで、午後は石舟沢鍾乳洞の探検にかかりきりになったので、洞窟探索の方は途中で中断してしまい、最初に見つけた水穴もそのまま放ったらかしになってしまった。早急に第2次探索及び探検を行わなければならない。
(芦田 記)