豆焼沢鍾乳洞探検ケイビング

 1989年10月15日(日)。曇り。埼玉県秩父郡大滝村(現秩父市)滝川の支流、豆焼沢にある豆焼沢鍾乳洞で第3次探検ケイビングを行う。参加者は芦田、白幡、広瀬の3名。
 今回の第3次探検の目的は、前回の探検で行った豆焼沢鍾乳洞のディギング作業の続きである。さっそく作業を始めるが、掘っても掘っても次から次へと土石が落ちてきて、まったく行き先が延びないのである。しだいに掘り出した土砂によって、作業現場が狭められ、3人がいっしょに作業する余地がなくなってしまった。そこで芦田は前回の探検で発見した豆焼沢鍾乳洞の上にある半埋没洞口の方でディギングを行うことにした。
 しかし、こちらの方のディギングも掘っていくうちに、しだいに穴が下へ向かい始めて、とうとう逆立ちして作業しなくてはならなくなってしまい、作業を断念することにした。しかたがないので、付近で洞窟探索を行うことにする。
 前回の探検の時は豆焼沢鍾乳洞のある尾根筋の東側──豆焼沢下流方面の探索を行ったので、今回は西側──上流方面に向かうことにした。尾根を越え、急な斜面を平行移動するうちに、上の方に大きな石灰岩峰があることに気がついた。さっそく斜面を登り始めると、なんと! その岩壁の下に洞口が見える!! こんな簡単に新洞が発見できていいものなのだろうか? 芦田がそう思いながら近づいていくと、やっぱり、ちゃんとした洞口だった。
 洞口の幅は約0.8m、高さは約1.5mで、充分に立って入洞することができる。入って、すぐ左上方には風化した石柱が2本ある。洞口より7~8mほど進むと天井が急激に下がってきて、四つん這いにならなければ、前進することができなくなる。この付近は獣の臭いが立ちこめていて、巣穴のように窪んでいるところに落ち葉が積もっていた。どうやらクマかキツネかタヌキの冬眠場所らしい。
 その横を通り抜けて奥に向かうと、匍匐前進しなければならなくなるほど天井が下がってくる。そのうえ、いくつもの瓦礫が障害物となって、人間の進入を阻んでいた。しかし、そこでは洞口方向から洞奥に向けて風が吹き込んでいるのがはっきりわかる。この季節、洞内に風が吹き込むということは、奥の方が竪穴になっているということである。
 というわけで、この洞窟が長くなる可能性にかけて、芦田は障害物の瓦礫を排除しながら匍匐前進を続ける。すると、行き先は超狭洞となり、上下にクランク状のルートになる。その箇所、上半身はなんとか通り抜けるが、下半身がクランク状となっている岩角に引っかかって、どうしても抜けない。そこで、手近な岩を手にとって、ハンマー代わりにクランク状の岩角を叩き続けた。
 十数分後、努力の甲斐あって、ついにクランク状の岩角が欠け、引っかかっていた下半身がクランク部を通り抜ける。そこを抜けると、少しだけ四つん這いで進み、狭洞を抜けると、ホールとなる。それまでの狭洞からすると、意外に大きい空間だった。行き先は3mほどの斜洞で、約2mぐらいまではフリーで降りれるが、その先は、すとんと落ちこんでいて、竪穴装備がなければ、とても降りることはできそうになかった。
 小石を投げこんでみると10mちょっとという気もするが、何回か繰り返すと、たまに相当に深くまで落ちていく音もする。やはり本格的な竪穴装備が必要なようである。とりあえず、今回は竪穴装備がまったくないので引き上げることにした。なお、この洞窟を『豆焼沢新洞』(仮称)と命名した。
 一方、白幡、廣瀬が行っていた豆焼沢鍾乳洞のディギング作業の方は単に大量に土石を排出したというだけであった。行き先の状況は最初と変わらないどころか、かえって埋没してしまったぐらいだった。今回、新たなる新洞が発見できたので、この豆焼沢鍾乳洞ルートのアタックは、とりあえず休止することにした。
(芦田 記)