倉沢谷洞穴探索/対岸窟・林道の穴練習ケイビング

1983年5月5日(木)~8日(日)、東京都西多摩郡奥多摩町倉沢の対岸窟及び林道の穴で第1次練習ケイビングを行う。また、倉沢谷で洞窟探索も行う。参加者は4日間通して芦田、白幡、廣瀬、初日に斉藤、2日目に山田の計5名。
今回の主目的は倉沢鍾乳洞対岸の山のどこかにあるという「一本杉の穴」を見つけることである。そのため、トランシーバーを3台も用意した。
5月5日(木)、初日。まず、倉沢の集落まで芦田、斉藤の2人が行き、一本杉の穴についてヒヤリングを行った。その結果、確かに倉沢鍾乳洞の対岸に洞窟があるとのこと。その場所を聞いて、トランシーバーで廣瀬、白幡に知らせるが、2人は別の方の山へ登ってしまったため、結局、倉沢の集落にヒヤリングに行った芦田、斉藤の2人が先に洞窟があると思われる付近に到着し、探索を開始した。
だが、いくら探しても、一本杉の穴らしい洞窟は発見できなかった。そして、石灰岩壁沿いに移動していた芦田が急に気温が下がるのを感じ、付近を探査したところ、10mほど岩壁を登ったところに冷たい風が吹き出している洞口を発見した。
洞口付近の形状から一本杉の穴ではないと判断できたが、すごい風量だったのでトランシーバーで残りの3人を呼び寄せることにした。全員が集まるまでの間、芦田は付近を探査した。その結果、ほかに3洞を発見し、うち1つから、やはり風が吹き出していた。
全員が最初の洞窟に集合した後、さっそく入洞を開始する。しかし、風は勢いよく出ていたが、5mほど入ったところで上下に分かれ、どちらも非常に狭く、入洞が困難であった。まったく入洞不能というわけではなかったが、時間の関係で、それ以上の探検は次の機会ということになった。日が暮れないうちにベースキャンプに戻ることにした。
これら4つの洞窟は、まったく人の入った形跡がない新洞であった。とりあえず『小白竜窟第一洞』、『──第二洞』、『──第三洞』、『──第四洞』と命名した。
5月6日(金)、2日目。倉沢鍾乳洞の対岸の岩壁にある対岸窟に入洞した。洞口が石灰岩壁の上に開口するため、取りつくのが少々むずかしい。規模は30mほどで、若干の二次生成物が見られた。
その後、倉沢の水穴の対岸付近の林道沿いにある林道の穴に入洞した。洞口は林道から1.5mの高さに小さく開口している。洞内は最初は狭く、途中から中腰で入れるくらいになる。規模は15mぐらいだが、埋没部が2か所あり、そのうち1つをディギングしたところ、1mほどの空洞に抜けた。
5月7日(土)、3日目。再び、一本杉の穴の探索を再開する。芦田、白幡、廣瀬の3人がバラバラになって、トランシーバーで連絡をとりながら探したが、午前中は発見できなかった。
昼に合流し、3人で地図を見ながら検討した結果、面で探索したつもりでいた地域で、ほんのわずかだが、だれもが探索していない場所があることが判明した。さっそく、その場所に向かい、再度3人が分かれて探索を開始した。15:00ごろ、芦田が幅5m、高さ2mの洞口を発見した。奥行きは20mくらい。
さらにすぐ近くで廣瀬が同じような洞口の洞窟を見つける。そして、こちらの洞口の前には杉が3本立っていて、真ん中の1本が少し太い。どうやら、ここが一本杉の穴のようだと思ったが、洞窟の規模が横穴50mくらいと、あまり大きくない。本当に一本杉の穴か? という疑問が出る。
5月8日(日)、再度、倉沢の集落に出かけ、その確認をとったところ、洞窟の場所を教えてくれた人は、一本杉の穴という名前は知らず、ただ杉がある洞窟ということで教えてくれたことが判明した。そして、この洞窟は、昔『御神仏』と呼ばれ、信仰の対象になっていたとのことである。そこで、今回発見した洞窟は『御神仏の穴第一洞』、『御神仏の穴第二洞』と命名することにした。
(芦田 記)